井口信也氏スモウを語る    高知・杉本太郎 これは井口氏が亡くなる三年程前の昭和57年3月、静岡県浜名郡舞阪町のご自宅で伺った話の抄録です。なお、文中の犬名はオブ・スモウを省略しております。 ダッチを入種する スモウの基礎犬は、ご承知のように伏見宮様のベオーチャム・パートリッヂ、ブルーサム・ベリー、その仔のボス・ブラックストソ・オブ・パートリッヂ、他にノースダイク・レンジャー、スタイリソシュ・パットセイです。 これは戦前のことですから、今日では重血の弊害はまぬがれません。 そこで太田宗一さんがダッチをヤプサに乗せた。昭和二十八年ですか。 まあ、危急存亡の秋(とぎ)に立っていたスモゥを一発逆転で、一挙に解決するための窮余の一策だったわけです。その頃、スモウは足が延びないのでどうにもならないと言われていました。これは非常に悪いという人もおりますが、これによって今日のスモウがあるのだという見方も出来ます。 もっとも、昭和二十九年頃でしたか、ダッチ直仔のダソチス・メリー、これに純スモウのべスを乗せて作ったマソモース・ギャルボン・ボーイ、これには全国から抗議の電話が多かったですよ。「こんなもの使いものにならない」と言ってね。さすが豪傑の太田でも電話に出るのを憚りました。 そして、マンモース・ギャンブル・ボーイの仔ジュディ・マリコ、このあたりから安定度七五パーセントの仔犬が出来るようになりました。 ところが、このボーイの孫になるカラヤ・リドウ、これがまた批判を浴びたのです。 カラヤの仔に噛み付くのや喧しいのが出来たのです。これはカラヤの血のせいだ、と言うのですね。 確かにカラヤはダッチの直系ですから、影響が出るのは間違いありません。 しかし、カラヤにばかり責任があるとは言えませんね。交配する牝に問題があったと思うのです。マリコなのか、その母ヂュディ・チルか祖母ヂニディ・ムツか、いずれにして もこの三代の牝系にあったのは間違いありません。 これらの牝犬は、太田さんにいろいろ教えていただいた私からみれば、何でこんな台牝を使うのだと、首をかしげたくなるような素材でした。杉本さんのところへもマリコとの仔が行っていますので、こう言っちゃ失礼ですが、生まれた仔犬は大体30〜40%は淘汰の対象でしたね。その証拠に、同じカラヤでも、ルミーやオレソヂ・ルミーといった台牝からは良いのが出ているのです。 95%、そのくらい高い確立ですよ。 結論として申し上げれば、カラヤの血というよりも、カラヤに配した牝があまり良い素材でなく、生まれた仔をもっとしっかりと淘汰する必要があるのに、それをしなかったということです。 その頃、太田さんが管理を頼んでいた人か素人で、太田さんの言う通り掛けねばいけないことが分からず、カラヤと掛けてはいけない系統でも何でも、交配の上手なカラヤをどんどん掛けたのです。また、晩年だったので、太田さん自身が手を加えなかったのも原因です。 カラヤが嫌われたもう一つの理由は、幅がなかったからです。ですからカラヤの写真というのは真正面からのはないはずです。大体横から。 そこで、幅を出すためにロン・オブ・ホウガクの良いところを持った牝をどんどん掛けて良い犬を作る必要があったし、太田さんも気付いていたが、亡くなられてしまった。 もっとも、太田さんに言わせれば「人に噛み付くような犬でないと、良い仕事をしない」ということだけど、今日そんなこと言っておれません。当時なら、ズボンくらい破って 多少血が出ても、菓子箱の一つも持って行けば済ませられましたが、今だったら大変ですよ、その犬は保健所に送らねばなりません。 それに、そんな欠点を許すわけにもいきませんからね。 全国を犬探し ダッチを入れた批判の声に、「戻し交配」が行われたのです。血統書をご覧になると分かると思いますが、ものすごい「戻し交配」をやっています。 いかに、ダッチを乗せたために「戻し交配」が積極的であったかをこの血統書が物語っています。でも、これを分かっている人がいない。 しかし、この戻し交配も程々にしておかないと、早産や流産したり、繁殖力が劣えたりなくなる、といった重大な欠陥が現れてきます。 例えば、テイホウ・ゼルとテイホウ・ポニーを掛け合わせていますが、この両親はいずれもザ・ピック・ベン、テイホウ・ベルです。また、その祖母はスターライト・オブ・コ ナン、兄弟掛け、親子掛けをやっているわけです。これをやらざるを得なかったのは、犬が三頭しかいなかったからです。 先程も申し上げたように、こんなに重血を繰り返せば、その弊害が出てくるのは避けられません。これは古い話ですが、牝で12〜13kg、まるでコッカー・スパニエルと間違えられるようなのがいました。まあ、良いドッグフードも少なかったし、管理も悪かったこともあるでしょうが、系統的な行き詰まりですね。 また、発情なんかも一年おきだとか、一度来ると二度と来ない、といったこともありましたね。ただ、あんな小さな犬が重宝がられていたのも事実です。まだ車も少ない時代でしたから、奥山のキジやヤマドリの宝庫へ自転車で行く。こんなとき、後ろのカゴに乗せて行くのには、ちょうど良かったのですね。 重血の弊害の話に戻りますが、名犬といわれたボナーの兄弟犬、カソトリイ・スクエアを、カラヤと同じように種牡にすれば良かったのです。これを種牡に踏み切るのが遅かったのですね。 もう太田さんも晩年で、人に頼んでいたものだから、カントリイ・スクエアを乗せろと言っても、この犬がうまく乗らないからと、乗せてはいけない系統を乗せてしまった。 その結果が、太田さんが亡くなった直後に、本家本元のところで仔犬が出来なくなった。 そこで私は、ある本にもちょっと書いたことがありますが、そんなのが半分も出来るような交配をやることは、間違いであることに気付いた。 特に牝には注意せねばいけないと。 そこで、太田さんが亡くなられた頃から、いただいてあった太田さんの手帳を頼りに太田さんの作った犬を求めて一年間に38,000Kmを走りました。北は北海道から南は九州まで、犬探しです。四国だけは電話で照会しましたけど。 でも、本当のスモウだと思うものは半分以下になっていました。 名犬を作るために セコ・カントリイ・ボーイとフラッシュ・ライトの仔であるボナーこの犬が名犬であるのは、万人の認めるところです。 この犬の系統を見ると、父親の両親はカントリイ・ボーイ・オブ・コナンとミッチイ、母親の両親はザ・ビック・ベンとチエコウ。 フラッシュ・ライトも、ご承知のような名犬だし、チエコウはスモウの名犬であるのは間違いない。私はこの仕事を見ています。 こういうのにザ・ピック・ベンやセコ・カソトリイ・ボーイが乗っている。だからボナーのような名犬が出来るのです。 ボナーの最後の飼い主は桐生市のT氏で、「こんな犬は一生大事にしろよ」と太田さんが言われていたそうです。 私がマリー・オブ・レイクランドを作ったときのことを話してみましょう。 母犬のテイホウ・シロ・オブ.サシバというのは、兄弟掛け、親子掛けを三回も四回を繰り返して、歯なぞも人間でいえば歯槽膿漏みたいにボロボロになっていた( )。 でも、良い犬が出来る可能性もあり、五才でまだ発情も来るというので譲り受け、そこで発情が来たとき、永年スモウをやっている者の勘からカントリイ・キソグを乗せたのです。 このキングは例のカラヤとジュデイ・マリコの間の仔ですが、間違いないと思った。 四頭生まれ、ご覧の通り七ヵ月くらいでピシピシと鳥を獲る、運搬もする。このような犬は35年間スモウをやっているが、少なくともベストスリーに入ると考えています。 一頭は山梨のK氏へ、一頭は私が台牝としていますが、欲しいという人が山梨や埼玉から随分来ました。 まあ、これは功罪相半ばする牝の系統から作ったわけですが、やはり必ずしも、どれとどれの仔だから間違いないとは言えませんね。 次に、マリー以上の犬を作ろうと、ボナーを乗せた。この仔がライト。オブ・レイクランド、これも素晴らしかった。こういうことは、太田さんが作られた犬を幅広く系統別に、牡牝ともに揃えていたから出来たのです。ご承知のようにスモウの場合、どうしても近親交配は避けられませんので、両親犬を厳しく吟味し、特に牝に重点をおいて掛けることです。 三代、四代前に同じ犬が互い違いに使われていても、兄弟掛け、親子掛けはないというものを交配すれば、お小言を頂戴するようなものが出来ることはありません。 当然、これは必然的に淘汰すべきものが10〜15%あるわけですから、それをするだけの鑑識眼が必要なのはいうまでもありません。それが出来ないようなら、するべきではありません。ここ15年程の間に英国輸入犬と交配したり、ボンドウなどとも交配しましたが、私の見た範囲では、その直仔にはスモウしのぶ(超える)仕事をするのは少ないし、その孫に至っては、なお少ないですね。これが現実ですね。出来ても奇跡的です。私の手元でやっても、そんな結果です。 結局、これほどゲームが少なくなると、まあまあやるわいという犬じゃダメなのです。もう完璧だ、百点満点だという犬を作らないとダメなのです。 ただ、あのボナーの母方の祖父犬のザ・ピック・ペンのように二才半くらいまで全然鳥に興味を示さない犬もあるのです。その間、引いていてもね。 もうこれ以上、何の感度を示さないならお前にくれてやる、そこまで言っていたのです。体構(体型)が良かったからガマンしていたのですが。それが突然、やり出した。やり出したと思ったら、これまでの種牡を数倍も凌ぐものになった、そして、スモウ犬舎の名だたる種牡になったわけです。 ちゃんと訓練して引いて、二年半も何の感度を示さない。今日、こんなのは誰が歓迎するでしょうか。すぐ淘汰しなくては、と誰もがそう思うはずです。 だから、「血は水よりも濃い」と言いますが、やっぱり危険を冒してもこれを見極める眼が名系を作るのです。 最後に、私の簡単な鑑別方法を申し上げましょう。 @ 生後三、四日というときに、親から70〜80cm離して置き、親の乳房まで真っ直ぐ行く仔犬が良い。 A 生後一ヵ月前後の仔犬の1mらいのところで手を打つ。ハット食べるのをやめて振り返るのが良い(知能、めくら、つんぽ、感度の検査) B 四十五日でAの検査を二、三回行う。その一週間後に再び行う。 C 六十日で同じように行い、また一週間おいてやる。 このような鑑別方法をやっているこれをパスした者の中でダメだというのは、ここ五、六年で一頭だけでした。そのくらい正確さがあります。 ******************************************************************************** 子犬を手にスモウについて語る井口氏 猟犬の改良に情熱をかたむけられ,スモウ系を確立された天田宗一氏(昭和45年5月頃,静岡県浜松市の自宅にて) スモウ系の種牡として活躍したカラヤ・リドウ・オブ・スモウ ************************ 作成日: 2008/09/15