401  ひたすら空しいものを感じる。“何を言っても無駄”

402  一部の人が事を進めるのは良くない。企画調整会議は廃止するべき。

403  職員会議が単なる職員連絡会議になってしまった。教員がロボット化し、意見のない人間の集団になった。激論を闘わせていた頃がなつかしい。会議が早く終わるのはいいが・・・。

404  職員会議をひらく意味がなくなった。

405  意思決定に参加していないと、個々の教育の責任意識が弱くなる。

406  職員会議で意見を言ってはいけないという事はないが、何言っても校長が聞く耳を持たないので、言ってもムダという空気が流れていて、みんなだまっている(私も)。しかしながら昔は教員みんなで学校をよくしようとしたが、今は管理職が勝手にやってくれるので、何にも考えなくていいので、すごく楽で〜す!

407  話し合いによって物事をよい方向に築いていく態度を子どもに教える場が学校です。その教育を否定することにつながる通知は撤回されたい。

408  業績評価でも直接し、以前のような活発な討論がしにくくなった。教員の発言途中、管理職から「ここは討論の場ではない!」と、発言の制止があった。同僚が教育についてどのような考えを持っているのか分かりにくくなり、コミュニケーション不足を来している。

409  何を言っても無駄、という無力感が学校内を支配しているように感じます。』このまま、学校教育はどこへ連れていかれるのでしょうか。不安です。

410  職員会議が単なる“決定事項の連絡の場”となった気がする。自分たちの学校を皆で話しあってよくしていこうという雰囲気を持ちにくくなったと思う。

411  誰が何を考えているのか、誰が決めているのか、などが全く分からない。職員間の信頼関係も希薄になっている。

412  上意下達で、学校運営に関与しているとはとても思えない状況である。

413  学校現場の活気がなくなってきています。都立高校の将来が心配です。

414  意見を言っても決定に影響を与えないので、意見を言う気にならない。決定へのプロセスに関われないので、勝手に決めてくれと言う気になる。

415  土肥校長は凄い!微力ですが全力で応援したいと思います。

416  何をどう意見したところで最終的には校長判断になり、挙手・採決も禁止されているので、とても民主主義的に会議が行われているとは思えない。結果、最終的に言いなりにならなければならないのであれば、会議する意味はまったくなく、書面で命令されている方がまだ時間の無駄が少ない分、建設的な雰囲気すら最近してきました。学校の現場は、憲法で言う言論の自由は守られていない環境だと思う。

417  企画調整で決定し、職員会議で周知するような形では職員会議で発言してもムダだという気持ちになってしまう。

418  発言しても仕方がないので無意味な時間は取りたくない。

419  (問4無回答)誰から見て、誰に対して教育的観点から見て有益なのか?都教委・校長・教員・生徒・保護者・他都民

420  民主主義社会の市民を育てる場である学校にあの通知は不適当である。何を言っても、ムダという無力感におそわれることがあります。

421  意見を言っても仕方がないので、会議で発言をしなくなった。

422  土肥校長だけが突出しているわけではない。声なき声の多数がそう思っている。今こそ声をあげなければ。

423  言ってもダメ、言わなければされにダメ。意欲のわかない学校長の管理姿勢にうんざりしている。

424  本校の校長は発言については、容認しているが、「批判的な発言、即、勤務評定での報復評価」という校長も存在し、そのような学校では自由意志も表現は難しいと思われる。「十分な議論をしたうえでの多数決と少数意見の尊重」が民主主義の基本を教える場で「基本」が実施されないのは大いに問題である。

425  愚作を葬り去るしかありません。

426  活発な議論が減った。 

427  「挙手・採決禁止」は民主主義に反する!!おかしい!!

428  まず、常に不安を抱える状態におかれ、本来の仕事に時間を使えなくなった。教員同士疑心暗鬼になり、協力し合えなくなった。上からの評価、しめつけ、給料による脅しによって自由にものがいえなくなり、やる気がなくなった。

429  民主的な討論ができなくなった。校長の一方的な判断がなされるようになり、職員の意見が取り入れられなくなった。

430  職員会議で生徒の進退等、大切な事柄を決める際、採決禁止になり、非常に職場が混乱していると思います。

431  通知以降、校長が教職員の意思にかかわらず、自分の判断で何でもやれるんだという雰囲気が出てきた。こうなると、教員も何を言っても無駄という気持ちになってきて、発言しなくなる。発言しないと物を考えなくなる。

432  意見が出ず会議自体無意味で単なる報告会に・・・。企画調で決めた事が全て正しくそれだけで学校運営が円滑に行くと思う発想自体そもそも間違い。

433  なるべく意見をいうようにしているが、他の人たちが発言しないので空しさを感じ、回数が減っている。企画調整会議でも自由に意見を述べることができないようで、そのメンバーの小言をよくきく。また職員会議で意見を言っても「意見としてお聞きする」との返事で何も変らない。朝の立ち番をやっていて、校長も時々立っているが、生徒へは声をかけずに私達に「あの生徒は服装がだらしない」など言ってくるのみである。これで適正な学校運営ができているのでしょうか?

434  「学校の言論の自由を求めて」をいただき見させていただきました。実習助手でどう受けとめたらいいかです。いろいろあります。大集会、安心して出て行っていいんですか??

435  あの通知自体が学校の影響は大であり、本来の職員会議とはかけはなれたものになっている。そして、都教委は管理職だけに調査をしている。その結果、適正な学校経営がなされているとなっているが、その結果は全く無効である。

436  功を急ぐ校長が、全体を統率することと単独で組織の意思を決定することを混同している。

437  校長は、自分ひとりの狭い視野の中で決めます。一般職員の言うことも、主幹たちの言うことも耳に入らないようです。また一部の主幹はそういう校長に迎合しています。校長は都教委に点をかせごうとするだけで現場の声など聞かず、生徒指導、人事に支障が出ています。声をあげることに無力感を感じさせられます。我が校では「適材適所」は死語です。

438  言論の自由云々というよりは、職員の仕事への責任感や意欲が減退したし、かえって運営が難しくなっている。11/13発表の都の調査の仕方自体、ナンセンスな事を報道してほしい。

439  都教委は、管理職だけでなく、平教員にも調査をしてほしい。職員会議で発言したら、異動させられる我が校に言論の自由はもはやない。職場の環境改善をとなるように制度をかえてほしい。

440  校長がワンマンになる傾向が強くなり、学校の言論の自由が奪われることによって、何ひとついいことがありません。最近の学校現場は、活気、ゆとりがなくなり、ダメになってきています。

441  生徒に民主主義を教える学校において教員の方が、全体主義的に抑制されているのはとんでもないことである。校長の横暴がまかり通る教育現場と化している。

442  教員の間には「意見を言ってもどうしようもない」という雰囲気が充満している。管理職の言う「建設的な意見」とは、結局は「管理職の意に沿った意見」なのではないだろうか。結局、様々な意見を検討・調整する機会がなくなり、教員の当事者意識を希薄にしているだけだと思う。

443  意見を述べても何も変わらないという雰囲気があり、発言が少なくなった。

444  民主主義の根幹を揺るがす通知で絶対許せない。

445  企画調整委員会にも出席していますが、ほとんどの事細が企画で決められて、職員会議は連絡のみの場となっている。決定事項が連絡されるだけ。

446  「前の状況」が分かりませんので、参考程度に・・・

447  管理職の顔色をうかがいながら発言するかどうか考えている人が非常に増えた。

448  学校は民主主義を学ぶ場でもある。民主主義の根幹に言論の自由がある。今年度の管理職は強権的ではなく(すくなくとも昨年と比べて)、発言しやすい雰囲気になったとは思うが・・・。

449  通知が出されて以降、校長や不合理、非合理な考えを一方的に押し通す傾向が強まった。学校現場では生徒の側に立った議論が行われない状況に陥っている。

450  カンちがいをする校長が増殖するのでは?まさに独断専行をすすめています。一方、教員の意見をきく機会が減って困っている面もあります。

451  職員会議の意味がまったくなくなった。教員が自由に考え、工夫することが制限されている。やっていて、ものすごく憤りを感じる。

452  職員会議に出る意味がなくなった。企画調整で何かを決めていこうとする方向も見え、主幹として参加している立場でそれを注意している。参考にするだけなら言わないし、責任は全て管理職が取るべきである。(思い通りに進めていくのであるならば)

453  挙手採決の禁止によって、学校現場で教員が協力してやっていくことが非常にむずかしくなっていると思います。学校の不活性化を協力に進める有害な施策です。早急に撤回しないと、都立学校はとりかえしのつかないダメージをうけると思います。

454  この事をもってして“適正化”が図られるとした発想の持ち主の貧困さとそれを推進しようとする都側の硬直さに唖然とするばかり。まあ実際は上記のように変わるわけがないが。

455  「言ってもしょうがない」空気が明らかにあります。

456  校長を対象とした調査を行ったこと自体、こっけいだと思いました。調査をせずとも、都教委にとって好ましい結果が出ることははじめからわかっているはずですから。

457  発言→勤務評定→異動や昇給への影響、これでは自由な発言など無理です。

458  公教育は民主化を実現する、或いは、しようとする場である筈。教職員の意向をふまえずに適正な教育活動ができるのか。今の東京都教育委員会はファシズムそのもの。

459  都教育委員会は、校長だけでなく、全教職員にアンケートを実施すべきです。これでは、物事の一面しか見えないと思います。

460  新聞誌上でたった5校しか「はい」と答えた校長がいなかったとの事。どういうアンケートを行ったのでしょうか?校長自身も強く管理されていると感じました。

461  一部の管理職・主幹でほとんどのことが決められて、自分が学校運営に関わっているとは全く思えなくなった。

462  管理職の顔色を伺う人が増えたような気がします。また意見を言っても右から左へ聞き流されているような気もします。

463  会議(すでに会議とは言えない)が短時間で終了するという点のみがメリット。

464  前々任校、前任校と、どこでも判で押したように「何でも言わない」あり方に変わってきた。職員室の集中管理の強化に伴い、私的な会話でも「物を言う」機会が減り、主幹・主任・ヒラの分断統治が進んでいる。

465  職員会議は完全な報告(連絡)の場になってしまい、意見を言ってももう既に企画調整会議で決定していると言わんばかりです。回数も減り、本当の形骸化した無意味なものになってしまったという印象です。

466  校長が判断するといっても職員の意志は確認すべきだし、どういう形でもやらなければおかしい。 教育委員会は上からの命令には文句をいわずに従う教員が良い教員だと言っているに等しい。

467  あの通知は意味が無いと思う。目的がよく分からない。

468  何を言ってもしかたがないというムードになっていると思います。

469  学校で何をやるかor生徒の問題、その他様々な問題を決定する場合に若い教員も、ベテランも皆で考え、それぞれが判断することが大切→自分に関係ないこととしてしまう。当事者意識がキハクになる!

470  学校長は職員会議以外の場で教員の意見を聞こうとしており、そういう意味においては、ある程度学校の経営に教員の意見を反映されていると思うが、個々の意見なので、公平に反映されているかわかりにくい。

471  おカミから命令がおりてくるだけ。学校を作っていくという雰囲気なくなった。そうされちゃ困るから、通知を出したわけでしょうけどね。

472  聞取り調査のやり方に問題。管理職だけでなく、一般教職員のデータを採取しないと「学校経営の適正化」について判断できない。

473  権力側のやりたい放題の時代。でも決してこれが続くわけはない。戦い続けるのみ。

474  校内に必要以上のヒエラルキーを作り、判断者と行動者を区別することは、教員の自発的生徒指導(全ての教育活動という意味での)の阻害以外の何物でもない。

475  組合(都高教)が直接このアンケートに取り組めないことに大きな疑問を感じています。

476  現在の職場は自由に発言できる雰囲気があると思いますが、他の職場では「ほとんど発言がない」「会議の意味をなさないので出席したくない」などの感想があるそうです。

477  2006年以前がどのようであったか知らないのでアンケートにうまく答えられていないかもしれません。ただ、採決がなく、議論が平行線で終われないケースがよくあると思います。

478  所謂「適正化」通知の結果、教職員の間には「何を言っても無駄」というあきらめ、ないし無力感がただようようになったと感じます。学校教育の担い手・当事者という意識が薄れ、教職員自治の気風が失われていくような危惧を抱きます。早急に教職員・市民の力で廃止させたいと思っています。

479  自由に意見を言えない組織は衰退する。様々なアイディアが出ないため、今やそれも「こっちの知ったことではない」と職員会議に出る気もしない。遅刻して行き、勤務終了と共に退室しています、これでいい学校運営ができると思いますか。この通知は馬鹿げている。

480  「余分なことを考えず、言われたことをやりなさい」という通知。著しく意欲を削ぐ。

481  意見はともかく具体的な日時の決定や急を要する日時の変更の話し合いにまで制約が及ぶのは効率を下げるだけだと思う。そもそも問うならば管理職の手腕を問うべきで、一般の教職員から規制をかけるやり方自体いかがなものかと思われる。

482  教師が自分で考え生徒に対する姿勢がなくなると思う。教員一人一人が、何を考えているのかわからなくなった。又、自分で責任をもって教育にあたる姿勢が失われてきた。

483  教員の総意がわからず、管理職の考えだけで進んでいく感じがある。以前の方がよかった。

484  採決禁止のため、廃案に対する意見を述べるだけ。提案者も、原案を改訂していいかわからず迷うばかり。意志表示は民主主義の基本。即時、通知の撤回を!

485  控え目に行っても上記の通知は百害あって一利なしと考えている。

486  「言っても仕方ない」という気持ちは、多少なりともある。教育現場では、あってはならないことだと思う。

487  明らかに会議での発言により、4年目で異動させられることになった。発言してもムダ(沈黙は金?)という雰囲気がある。業績評価と発言内容がリンクすれば当り前のことかもしれませんねぇ。

488  「はい」と回答すれば、「校長のやり方がまずい」と指導される。だから校長は「はい」と回答できないのだ。「都教委が悪いと思うか」とたずねても、きっと「はい」とは答えられない。やはり、知事の施政から改める必要がある。

489  意見をのべても、結論が決まっているのであれば言っても空しいという気分になる。職員全体の意向が見えにくくなった(採決なしのため)。生徒の進退にかかわるなど教員の総意が問われる決定についても、自由な意見交換や意思表示の機会が失われた感じがする。

490  何度か、様々な議題に於いて、校長と話をすることがあった。職員全体の合意があることでも、校長の裁量で決められるので、意見は言わなくなった。

491  初任者(一年目)の意見です。「採決」には至らない「意見」としての挙手は大切だと思います。それに私には職員会議の意義も、教員の意思が問われないのであれば、何のためにあるのかよく解りません。

492  「物言えば唇寒し…」で「面従腹背」になっている。

493  自分自身はあまり変わらないが、採決等ができないということは意見を言っても仕方がないという気になると思う。

494  問4は敢えて「3」にしたが、教員個人、社会の「学校」のあるべき姿の理想像・考え方により教員の考え方は異なると思いう(コンセンサスのギャップ)。たとえば、教育委員会の方針通り校長がやらされていると思えば「言わない」。サラリーマン的に考えれば発言もしないなど。(うまく表現できなかったが)

495  発言は苦手とする方も挙手による意思表示はできる。そういう形で教員全体の意向を知ることは大切である。また、教員自身が共通認識できる。

496  発言しても仕方ないという雰囲気になっている。発言が苦手な人も挙手で意思表示できるはずだが、採決も禁止では意思表示すらもできない。管理職が取り立てて有能というわけでもない。議論・討論こそが学校を活性化させる方法の一つである。

497  あの通知以降、学校運営に有益な教員のアイディアが減ったように思われる。その意味で教育的観点から見て有毒であると答えた。

498  校長に権限が集中した結果、それを背景にし、圧力をかけてくる校長がいるのは事実であり、まったく教職員の意見を聞こうとしない。その結果「何を言っても無駄」「どうせ変わらない」という雰囲気がある。

499  学校の活力が失われることは間違いない。

500  言っても仕方がないという雰囲気になっている。

501  学校全体が冷めてしまってきた。

502  何を言っても「ご意見として伺っておきます」という定型文で処理される。何も言う気になれない。

503  良識的(常識的)、かつ見識のある学校長、副校長のいる学校はいざ知らず、本校の場合、校長の権力乱用の場である。教員の意見を吸い上げ、よりよい学校運営に生かそうとする姿勢がまったく見られず、いつも独断でものごとが決まる。

504  年々、教員の教育に対する熱意を冷ますようなことばかりが実施されていると思う

505  教職員で一丸となって学校を創っていく意欲がもてなくなった。

506  都教委側の発表はあくまで都教委側だけのもので一般教育側の意見も総合したものでなくてはいけない、というのは事の正否を考える基本的態度であるので、こうしたアンケートが実施されるのは大賛成である。

507  通知があっても自由に発言しているつもりだが、発言しても無駄という雰囲気が強くなり、やる気が削がれているように思える。

508  都教委の挙手・採決禁止はあまりに不道徳で驚くかぎりです。いまだに、どこまで本気なのか理解できないほどです。

509  職員会議が伝達の場になってしまったと感じます。

510  職員会議といえる様なものではなくなっています。

511  教員のチームワークを大切にしていきたい

512  生徒指導力(授業・クラブ・行事などあらゆる面で)の低い者が現場でいたたまれず管理職になっている。従って職員会議で議論になった時に、言論による説得力を全く持たない。 こうした現状では、教員の言論を封じる以外に校長がリーダーシップを取ることは不可能である。 三鷹の校長など、例外的に優秀な校長には不要であるのだが。 学校名を記す都教委のアンケートなどナンセンスの極みである。「はい」2% 5校の校長は恐らく優秀で、かつ左遷覚悟で教育の正常化を望んでいるのではと思う。

513  今まで通り発言はなんだかんだとありますが、それらは皆、むなしい、のです。

514  管理職がかってに決めれば その責任は管理職がとるのだから、意見をいう必要もないし、発言する義務もないという気分でいっぱい!!現場からの情報もなしに思いつきの指示がくりかえされている。この事実を都民の目から都教委はいつまでおおいかくせると思っているのだろう。外からもぜひ実態と違うことをあばきだしてください。

515  挙手できなくなったことで、積極的に何かをしようと思えなくなった。「どうせ校長が決めるんだから」という空気が漂っている。挙手で決まったことなら、反対していても団結して事に当たれるが、そうでなくなった今、協調がしにくくなった気がする。

516  決定権がないので、言ってもしょうがない、という雰囲気が蔓延して、職員のやる気の低下を招いていると思う。

517  あの通知が出されたから自由に発言しにくくなったなどということは私自身とその周りに関してはほとんどないと思う。(逆に)あれくらいのもので発言しなくなるという考えは教員を見くびっている。問題なのは

518  職員の意見、意志を無視して、あるいはそれに逆らって自分の思いどおりにやることが有能であることの証と勘違いしている校長が多いこと、そして何よりこんなバカな通知を出す都教委に東京の教育がゆだねられていることでしょう。

519  ・言論の封殺   ・職員会議のロボット化

520  教育の現場で直に生徒に向き合っている教員の声をきちんと吸い上げるシステムとしての「挙手」が禁じられ、生徒不在の決定がまかり通るようになっている。管理職はただ都教委の顔色をうかがい、挙手ができないことをいいことに、自分のポイントになるような決定ばかりを繰り返しているように見える。別の角度から見ると、管理職と一般教諭との間に不信感をもたらしていると言える。

521  ・言論の自由がなくなった   ・校務運営に意欲がなくなった

522  (問2に 言うだけムダだと思う)(問3に 校長には一般教員の言葉に耳を傾けなくていいという姿勢があるようだ) 心が石になったように感じた。自らの信念を裏切ってどうして生徒に人間として正々堂々生きよといえるのだろう。自分は生徒に教える資格はないと思い、仕事をすることに悩みました。いつも無理して働いている感じは拭えません。早く辞めたい。

523  ・一般の教員の意見は企画調整会議ですいあげるとなっていて、職員会議は議論していてもむなしくなる。・学校の階層化とあいまってトップダウンの施策を通すためのもので教育活動の場にはふさわしくない方法で現場の活力を無くしている。

524  東京都の教員だけにはならないこと。人間を相手にしている現場を見ようと全くしていない。

525  意志決定の場にいないことによって、当事者意識が持てなくなった。職員会議は「伝達の場」という意識が広まり、議論はほとんどされなくなった。結果としてさまざまな見方やさまざまな角度からの情報が考慮されずに物事が決まっていると思う。ただし決定のスピードは早くなった。(拙速でも決まるようになった)

526  「ここは意見を言う場所ではない」といったニュアンスの発言が主幹からもあった。

527  以前の職員会議では審議事項として学校経営に関する全てが全職員による審議、採決で決められてきました。多数決を大原則とする民主主義国家では当然のことです。だからといって校長の意向が反映されなかったということはなく、校長も一職員として審議を見守り、最終的には校長が決裁していました。今は下々の者が知らないところで、ごく少数の人達が決めたことに従うのみです。

528  自分が学校運営に参加しているという意識がなくなった

529  教育という、一番民主的であるべき場で、民主的運営がなされていないのは、問題である。

530  1920年代の再来のような昨今の情勢が怖いです。

531  統制は教育から始まるといいますが、まさにその通り。今は日本が右翼に乗っ取られたようです。

532  自分自身の問題もありますが、発言しても無駄(報告)が会議に出されてしまっている、という無力感を感じます。

533  学校現場で一番大事なのは自由である。そして自分の頭で物を考え、意見の違いを討論して合意形成をしていく雰囲気が職場からどんどん失われていっていると思う。土肥校長を孤立させてはいけないと思う。

534  自由な意見が新しい取り組みを生み、生徒のためになる学校を作ります。

535  都教委の報告はナンセンスとしか言いようがない。このような、ミエミエの出来レースを、ほとんどそのまま垂れ流したマス・メディアに大いなる憤りを思う。マス・メディアは石原慎太郎の何をあれほどまでに恐れなくてはならぬのか。私には全く理解できない。市民の方々が、このような行動を起こしてくれたことに対して、深く謝意を示したい。

536  88%の管理職、学校経営の適正化以後に入部してきている若い教員の増加。都立高校が内部から崩壊していく様が見えています。これがいつか来た道とならぬように努力をし続けなければならないと思っています。

537  自由に意見を言う場が減り、無力感を感じています。様々な意見を戦わせ、決まったことは皆で守るという、以前の状況の方が、学校に活力を与えると思います。

538  人間教育現場になじみにくい通知と考えられる

539  何を言っても最終的には校長が決定権を持つので発言する意識が薄れる。しかしあまりにも理不尽な内容が出てきた場合には、どうせ言ってもしかたないと思っても発言する場合もある。

540  都教委はどのような学校を作ろうとしているのかわからない。

541  「学校は、校長の判断に従って、全教職員が動いていく組織体」などと公然と職会で校長が発言したことを憶えています。余りにア然としてしまい、「開いた口」がしまりませんでした。校長の思案であれ、自由に意見を言い合って、いいものを作り上げていく気風が止まってしまったことは、残念でなりません。

542  教育の活性化がなくなった。企画会議参加者による学校運営が明確になり、一般教諭の意欲が低下した。

543  企画調整会議で決まったことを職員会議でただ報告し、何か問題がある場合でも、最後の校長の「この通りやります」の一言で終わってしまうので、話す気さえおこらない。また、それ以前に自由に話し合う雰囲気がない。

544  何を言っても無駄 モチベーションが大いに下がる。 管理職と一部の人による学校の私物化だ。

545  もの言えば唇寒し・・・では職場の活性化は望めない。教職員の意欲を減退させることがこれでもかと連続して、圧迫感を感じる。あまりにも形式的でどうでも良いことが多すぎる。無駄に多忙となり、心身とも疲労しているのが現状である。この悪教育行政は近い将来歴史的に裁かれるのは必定であろう。

546  私自身は以前通りよく発言している。その結果、一部の教員から圧力を受けることがある。他方一部の教員から「良く言ってくれた」と会議後言われることもある。また、ある教員の職員会議の発言について、その学年の主任が校長室に呼ばれ「企画を通してない発言をなぜさせる」の意味の叱責があり、その主任がおちこんでいた。私自身も私への圧力は受けてもかまわないが、周りの他の人への影響はつらく思うことが時々ある。私自身は以前通りよく発言しているが、それをもって管理職が都教委調査に「今まで通り言論の自由は保たれている」と答えられては心外だ。まじめに質問しても管理職は答えない。「決定です」で終わり。それでも問題点指摘だけはしておかなくてはと言うだけは言っておこうと思って発言している。また企画調整会議を経て職員会議に出てきたことの中に明確な誤り(都教委から見ても誤り)のものもある。校長、教頭の無知、主幹のイエスマンぶりにはあきれる。「ひら」の教職員の指摘で、無事!ということもある。マンガなら笑っていられるが・・・。石坂啓さんのネタになるかも。

547  教育委員会のまとめには疑問があり、リーダーシップをまちがえて解釈していますね。意見が交わらない集団は必ずほろびます。しかし文句ばかり言っていては話にならないので、我々も強い人間関係の構築をめざすべきです。

548  もう少し血の通った人間としての管理職は、本来の教員のやる気を出させるべきだ。

549  「意見を聞く」とは建前で、管理職と都教委の意向に合わないものは切り捨てられる!!

550  (設問1.言う人は言う、でもむなしい・・  設問2.発言したところで自己満足で終わるむなしさがあります) 世の中でこのようなルールが通用している世界はないのでは・・・・・と思います。なんでこれが適正化なんですか?

551  管理職の独断の偏見で学校運営が押し進めされるようになったと感じている。職員会議で発言をしても無駄だと考えるようになった。黙って時が過ぎるのを、ストレスを感じながら過ごしている。

552  この通知を背景に、管理職が一方的に職員会議を進行し、結論を押しつけるだけの場となっている。勤務時間をこえての職員会議はむなしいの一言。

553  土肥校長の行動を応援しています。HRで発言が少ないほうがよいのでしょうか。上に立つ人は、絶対にまちがえないのでしょうか。現場にいる者が、様々なことに対して他人事のような姿勢になるでしょう。全体としては、教員のやる気、意欲が減退するでしょう。「いいや」って感じになります。議論して、互いに変化し、切磋琢磨するのが、よい成果を生むもとです。経営コンサルタントなど、風通しのよい職場が成果をあげる、と言っているし。(教育の場は子ども=自然を相手にしてますし、「成果」も多様だと思いますが)

554  人間というより機械のような管理職を多く見かけるようになった。行政権力の直接の出張所として、権力的な脅しを背後に持つ、何の説得力も持たない、人間的な魅力のない不気味な校長・副校長である。(教育と関係のない存在である。)

555  武蔵野公会堂にも行かせて頂きました。一都立高校教員として、心から応援しています。

556  校長が、職員の考えを挙手で確認するのはあたりまえのこと。何を喋ってもどうにもならないという考えが先に立つようになり、会議の意味がなくなってきた。

557  何を言っても先に管理職が決めた結論ありきで、発言しようという意欲がわかない。何でも言う通りにやればよい、そういった雰囲気が支配的だ。

558  あの通知以来、管理職以外のほとんどの教員にとっては、学校という職場が非民主的で、閉塞感に満ちたものとなり、その結果「何を言ってもムダ」という、やる気のないあきらめムードが広がってしまったことは誰も否定できないと考えます。

559  職員会議で自由に発言できない職場ではいけないと思い、従前と変わらぬ態度で会議に参加するように心掛けていますが、逆にこんなに気負わなければならない現状にムナシサを感じます。採決が禁止された頃から職場全体の一体感がうすれたような気がします。

560  主幹会議や企画調整会議ですでに決まったものを伝えるだけの場となり、議論をする会(会議)ではなくなったと感じる。決まったことに対して今さら何を言ってもムダでしょという雰囲気を感じる。

561  各分掌の中での話し合いも「管理職はこう対処するであろう」と推し量りながらの視野の狭いものになっている。

562  結局、校長次第だと思います。

563  言論の自由は教育の基本である。通知など論外であり認められない。

564  学校の発展のためにも、教職員の意見は安心して表明できる土壌、挙手できる参加意識は必要である。

565  極めて窮屈なって、人間性を否定されている感じがする。

566  職員会議が形骸化している。生徒のことを考えていない。

567  発言をとめられることは、苦痛です。人の発言をとめるなど、人として、してはいけない、許されないことだと思うので、その意志を伝えていくことが大切だと思います。

568  大変問題があります。教員のやる気をなくしています。

569  教育的配慮の全くない校長案が教務案として出されるように指示されている。職員会議が単なる連絡会として扱われ、現場の意見は企画で主幹(主任)が話題として提供するよう指示されている。企画調整会議で出されていないことに関しては職員会議の話題にしてはいけないと指示されている。月1回の職員会議で1時間限定で行なわれるが、全体の意見も聞かれることなく、日々変化する学校現場の実態に全く適当でない。たとえば、校長の発言で「生徒が緊急事態」とあったが、特別指導や物品破損などの情報が全体にすぐに伝えられず、事が終わってからの報告のみがされるなど。

570  (問2:非常勤教員になってからは発言しにくい。 問3:通知以前から、特に異動要綱が改悪されてから強く感じる) 職員会議を減らす動きが強い。校長と話し合う場を作らないようにしている。

571  生徒のための発言もうばわれている現状をどう見るかですよね?管理職はそれでいいのか、考えてほしいです。

572  @質問 → 矛盾点を明確にし、改正改訂されたか  A異議・意見 → 改善されたか      B挙手・採決がなくなったことでどのような不都合が生じたか。

573  会議に出る意義はありません。企画ですべて決まるのでそれさえ伝えてくれればよし。時間のムダ。もはや民主的な会議は存在しない。

574  職員会議における意見は何にも生きることはありません。その場限りで無視されています。一部の偉い先生方が決めてしまう物事には、学校が良くなる方向を向いているとは限らず、それらの先生方の報告のために決まっていくことが多いように感じています。今の学校で物事が決まるシステムを一般の方々が知ると、驚くと思います。学校の言論の自由を守ろうとする校長の評価が低くならないよう見ている必要があります。異動についても同様です。

575  不勉強で、土肥校長という方がどういう方か存じ上げませんが、そういう方がいるだけで、勇気づけられます。主任教諭の導入も、4月から実施され、今学期中にレポートを出せという無茶なこともやられています。現場の教員の意向とは全く反対のことが次々にトップダウンで命令されて、まじめな教員ほど、ストレス疲労がたまっています。この先、日本の「教育」はどうなってしまうのか、背筋の凍る思います。

576  土肥校長にエールを送る。

577  自由な発言が「日本の社会を作る」これができなくなった!!

578  土肥氏とは高校の同窓生です。がんばるようにお伝えください。

579  職会で何を言っても「私の一存で決める」となるとすべてがむなしいと感じてしまいます。学校現場の声があがってこその学校教育がうまく回っていくのだと思います。

580  職員会議での発言は、すべてではないが最終決定とする校長の決議に反映されなくなっているような気がする。校長も意見は聞くが、決めるのは校長自身であり、反対意見が多く出ても最後は「これでお願いする」という形が多くなっていると思う。

581  言ってもしょうがないという気分が大きい。先に結論ありきではレベルアップする訳がない。

582  自分の意見は反映されないのだなと思うと、何を言っても無駄かな、余計なエネルギーは使わないでおこうと思うようになった。教育の責任の一端を担っている、という意識が以前よりも薄れている。

583  発言してもしかたがないという気持ちになっている。何を言っても無駄だという気持ちが強い。

584  学校は、医療や福祉の現場と同様に、現場の最前線で働く職員の感触が生かされることが重要です。それを軽視すると、最近報道されているような救命現場での事故が起きるのではないでしょうか。現場の意見を大切にして、真摯な姿勢で教育に取り組む体制を作るのが都教育の役割ですが、それに逆行していると思います。

585  言うことへの抵抗感というよりも、言っても無駄――という無力感を感じるというのは哀しいことです。

586  議題整理という名目で実質的には企画調整会議において一部の人達によって方向性が決定されてしまい、職員会議ではよく考える間もなく情報伝達がなされるのみである。多くの教員がおかしいと思う事でも、反論を組み立てる間もなく会議は終わってしまう。

587  今はもう職員会議ではなく、ただの連絡会です。

588  管理職に対する意見が減った

589  校長→主幹→教諭への命令系統が確立してしまった。職員会議は単なる報告の場となった。

590  通知後の採用なので変化はわかりません。ただ意見が言えない雰囲気があるのは感じます。

591  職員会議で発言したら、会議終了後、校長に呼ばれて注意された。そのやり取りは副校長に記録された(あとで「破棄しろ」と言って破棄させた)。校長の発言のあと「勤務時間がきた。こうなるのは成績会議と職員会議を4時(?)から始めたことにある。学期末の忙しい中でめいっぱい授業を詰めて全てが終わってから会議を始めたことが原因であり、あらかじめ勤務時間オーバーが予想された。今後は、授業の短縮など考えてほしい。」旨の発言に対し「自分の報告は幾つかあり、そのひとつが終わった時点でその件の質問を受け付けた。関係のない発言は許せない。話を中断したことを謝罪しろ」という。そもそも私は勤務時間が終了時間になったので発言したのだった。私だけでなく会議でも発言者に対し校長室に呼び出しては圧力をかけ続けている。別の会議で私の提案について他の職員の意見を求めたところ、別の教員を通して「協議機関でない」旨校長の言葉として告げられた。職員会議への提案は全て企画調整会議を通っていないとダメであり、その結果緊急のものでも次回の職員会議である2週間後になることもある。職員会議そのものの非民主化だけでなく手続き上での非民主化・硬直化がある。前の職場では「君が代強制」について「反対」とほんの一言(数秒)言っただけで、業績評価の学校運営の項目にCを付けられた。他の職員もかなりの人数が発言し長くしゃべっているがBの評価である。情報公開で問いただすと「私が分会役員である=職員を代表した意見である」から問題であるという。不当労働行為として苦情処理するが訂正はなかった。

592  本来職員会議で議論し決定されるべき議案がすでに主幹会議や企画調整会議で決定されており職員会議は単なる連絡機関にすぎなくなってしまった。

593  民主主義はどこへ、民主主義の教育は必要ないし、教育は死んだ。

594  前任校では職会の時間が大幅短縮された。したがって聞きたい情報すら聞けない。発言数は当然減った。また現任校での面接(管理職の)では、職会の発言をとりあげられて、勤務の評定や、校内人事に大きな影響がある。教育的観点もそうだが「よりよいもの」は作れず「無難なもの」がこれからの学校に増えていくだろう。

595  挙手採決をしないため教員の意見の総意が分かりにくい。色々議論をしても管理職の一言で結論が変るので、職場に無力感がある。多くの管理職は職場の真の実状を知らないと思うが、そのための支障が多々ある。

596  発言する人や機会が全体的に減少しただけでなく、発言が大切に扱われず、管理職の方針にそわなかったり、考慮したくない内容であったりする時は適切に返答することをしない場合が非常に多くなった。従って全体の雰囲気としては何かしら無力感のようなものが会議を支配するようになった。

597  発言をしても挙手、採決がないのでむなしい思いをすることがある。教育の場で挙手、採決ができないのはおかしい。民主主義はどこに行ったのか。

598  明らかに挙手をした方が状況がはっきりするような場合は多々あります。採決が全てとは思いませんが、全体がどのような方向に向かっているのか、とか確認しつつ議論とは進むものではないでしょうか。言ってもムダだという雰囲気は建設的な議論にはなっていない気がします。

599  前任校で「職員会議である話題について自分の意見を何度も言った」という理由だけで(←校長が自ら説明した)「学校運営」という項目に関して「C」評価をつけられた、ということがあった。

600  職員会議での挙手・採決禁止となり基本的に方針がすでに決定されていて何を言っても結論が決まっていることが多くなった。結果的に発言が少なくなったと思う。

601  人間を否定する前近代的状況。「教育」にはあり得ない。こうした状況がまかり通るのはなぜか?情け無いこの国の歴史!!

602  ものを自由に考えることを教える教師が自分で考えて意見を述べることを禁じられる、こんなバカな法がどこにあるのか。そもそも校長・副校長になる人物の資質に問題がありすぎる。教育者として失格と思える人物ばかりである。

603  職員会議で職員の発言の重みが変った。聞きおいているだけであり、決議をしても校長判断で変る。

604  挙手・採決のない職員会議で発言しても意味がないと感じるようになった。

605  教員評価は異動に悪影響が出ている。職員会議で異議を唱えることが多い人が異動の話をもちかけれている。

606  自由に発言できるようにする。

607  「意見を言っても仕方がない」という気持ちです。どうせ何も変わらないんでしょ、という感じです。

608  表面的には教員が管理職の方針に従うようになった。しかし、その状況を管理職が自分の学校運営能力の高さだと勘違いしている。結果、無能で単なるワガママ管理職が増えただけだ。現場は何ひとつ良くなっていない。

609  通知よりも校長の態度によって左右されていると思う。

610  活発でなくなった。

611  発言したってもう結果は決まっているんだろう、というあきらめ。(企画調整会議を経ずに)発言してはいけないのだろうという遠慮。変にたてついて睨まれても、という恐れ。・・・があって発言しない方がよいと思うようになりました。話を聞いているとどうしても何か言いたくなるので、この頃は聞かないようにしています。

612  私の場合発言数が減っただけでなく、やる気力さえ失いつつあります。いえ、もう失っていると言ってよいでしょう。

613  通知もそうですが、人事考課による無言の恫喝もすごく悪影響を及ぼしています。

614  職員会議は伝達の場でしかないので、自由に意見を言い合える雰囲気や場がなくなっている。

615  職員会議は連絡・伝達が中心となり、かつてのような熱のこもった議論がほとんど見られなくなっているのは決して良いことではない。

616  土肥校長の発言・行動に勇気づけられます。

617  意見を言ってもむだという感覚がするようになった。

618  何か意見を言ったとしても結果は変わらない。というムードが大勢を占めるようになった感じが強い。(前任校での経験です。)

619  「企画調整会議」&「職員会議の議決」なしによって職員会議が形式的、情報伝達のためのものになったと感じる。また、都教委による「校長のリーダーシップ」指導により、やたらと長い無意味な校長の訓示等が異常に増え、辟易している。職員会議にはアホくさくて出たくない!これが当たり前だと思っている若手教員がかわいそう&今後が怖い。

620  先生方は生徒による授業アンケートをとるなど、公にそうされている状態である。管理職の方々、都教委の方々に関しても職員によるアンケートととるなど評価されないと不公平だろう。

621  結局、校長も都教委に従うしかなく、ある程度幅のきく教育活動というのはなくなってきていると思う。意見を言う気もなくなってきている。

622  権力を持っているものが都合のいい制度。民主主義を教えなければならない教育の場に、専制的はシステムは合わない。やってはいけない。このことを理解しない都教委は異常である。

623  教員のアンケートをとれば都教委とは逆の結果になると思う。

624  企画調整会議などの少人数の会議で決めたり、流れを作ってしまおうとする動きが出てきた。皆で決めて皆で動くという以前のような雰囲気は失われつつある。また、最近採用された若者はそれが当たり前になりつつある。

625  校長に反対する意見は言えない雰囲気。どうせ校長が決めるので何を言っても無駄という雰囲気で発言数が減った。

626  会議で発言があっても(校長に対する賛成しかねるという意見やまちがいを指摘する発言など)、校長から「ご意見承りました。でも私の言うとおりやります」と言われるようになった。建設的な議論はなくなり、校長が一方的に連絡する会になってしまった。でも、意見を聞くなと言われている校長も大変だろう。

627  ここ数年職員会議が白熱しなくなりました。本当の意味で議論ができなくなり、たいした中味もなく、終わってしまいます。かといって企画調整も管理職の伝達が中心で連絡調整の機能をはたしていません。昔のようにみんなで悩んで考えて意思決定をしなければいけない気がします。

628  最終的に校長が判断するにしても、教職員の意向を正確に把握することが必要である。挙手がなくなり特定の発言者の意見のみが会議の意向のように感じられるようになった。分掌業務上も支障を感じる。

629  1、みんなが意見を出し、それをまとめる会議でなくなった。単なる連絡会化となっている。 2、自分たちが教員として考え意見を述べる機会がなくなった。 3、考えることがなくなり、ただ連絡を聞くだけの機会になってしまった。 4、校長が自分の考え、都教委の通達等をただ連絡しているだけである。職員の意見をまとめる力を発揮してほしい。 5、校長のリーダーシップの低下が著しい。制度だけを確立してもしょうがない。

630  人を子ども扱いしない。現場の判断が最優先です。

631  職員会議で教員がどんなに発言しても管理職はただ聴いておくだけとなっている。これでは、何を言ってもしょうがないという空気が職場に漂っている。

632  校長、副校長を対象にした調査結果を出しても無意味。広く教職員の意見を聞くべき。

633  「何か言うと人事考課(自己申告書の評価)を下げられたり異動に不利になったりするのでは・・・」と思うと何も言えないというのが、今の都立高の現状だと思います。

634  ただただ無力感が高まる職場になってきた。学校のため何もやる気が起こらない。もはや職員会議で発言する気も起らない。

635  教員の意向を無視して一部の取りまきの意見だけで物事を決定している。教員のやる気を失わせている。

636  教育本来のあり方から全くかけ離れた通知です。今後さらにどんな手段をうってくるのか不安です。ファシズムの進行でしょうか。

637  すべての職員の視点から教育活動は成り立っているのに日々の活動まで目のいきとどかないことが多い。管理職の一方的な考え方で無理矢理すすめていこうとしている。これではますます困る。バラバラになるばかりだと思います。

638  分掌、委員会から協議をお願いしても校長の考えでキャンセルされるのは非常に働きずらい(話し合いすら行われないのが現状です)

639  都立学校での言論・表現の自由および研究・研修の充実を阻んでいるもののルーツは都立七生養護学校事件と「日の丸・君が代」処分です。言論の自由獲得と七生問題及び「日の丸・君が代」問題の3テーマを同時にたたかうことが求められています。

640  本校では、職員会議が報告化している。重要な内容は。主幹会で討議されてその内容は部外秘扱いされている。主幹会のメンバーが担当でない案件は連絡が不十分で、対処の遅れが生じている。先日も、7月4日実施の「人事委員会・労働基準法等に基づく定期監督及び諸調査」の指摘事項を11月下旬、突然副校長から。他教科の薬品保管について「緊急用件なのですぐに対処せよ」「すぐに対処できないのは教科の代表として無能である」等々の発言があった。経営企画室長に確認した所、指摘事項は主幹会に報告し、対応を決めていたが、該当する教科の担当者にはだれも伝えていなかったことが原因であることが判明した。

641  「ほとんどの学校で〜」の報告にあぜんとするばかりです。職員会議での審議を禁止、挙手・採決禁止 こんなバカげたことがいつまでまかり通るのでしょうか?何を言ってもムダだという無力感が今、現場には広がっています。

642  校長が決めることがあってもいいと思いますが、教職員の議論の中で合意を築き上げていくという決定法も大事だと思います。職員会議で「学校、生徒のため」と思って発言しても、校長の人事考課でマイナス評価をされれば、皆次第に黙っていくでしょう。学校内に言論の自由がないことは、最後には子供に悪影響を与えていくと思います。

643  私はこれまで6人の管理職の先生方(校長・副校長)の下で職務についてきましたが、いずれの先生方もヒラに過ぎない私の意見に耳を傾けていただき、私自身大変励みになっております。むしろ問題は、組合員、非組合員を問わず、40台後半以上の諸先輩方にあるといわざるを得ません。職務に対する熱意に乏しいだけならまだしも、一人よがりのその言動は、学校運営上有害そのものです。それこそ、私のような若輩者が「何を言ってもムダ」という空気を作っています。もちろん、40台後半の諸先輩方の中にも模範とすべき立派な先生方がいらっしゃることも事実ですが、数の上では問題のある教員の方が多いという印象です。これは私が赴任した2校の現状です。他の都立高校が、この現状意とは違うことを祈るばかりです。

644  管理職がいる場合といない場合で発言の内容が違う教職員がいた。(前任校でのこと)

645  多面的に物を見られない組織(分掌)が増えたと思う。

646  今の風潮が強まっていくと、教員が学校経営に参加しているという意識が薄まっていくという不安を覚えています。

647  パワハラ校長・副校長が増え、さらに意見を言えない状況がある。人事考課を理由に脅す校長もいる。校長自身が(副校長も含めて)、人事考課で縛られているので都教委に意見を言えないという末期的症状が現場にある。

648  職員会議 → 職員連絡会になった。

649  採決をしないのだから意見を述べても無駄という雰囲気が漂い、仮に発言したとしても最初に結論ありきなので、現場なのに現場の声が届かないという状況にある。これでは「会議」とは呼べず、今のままなら職員が一堂に会する必要もないし、連絡なら印刷物で済むのではないか。

650  どうせ最後は校長が決めるのだからと学校運営に対する熱意が減少した。黙っていられない性質なので発言はするが、校長がそれによって変わるとは思えない。(校長はすでに意見を決めている)

651  今まで、都教委が行なってきた施策で成功したものはほとんどない。入試制度もしかり。都立高校をダメにした張本人なのに、今まで責任をとったことはない。全く無責任であり、”行政悪”の典型である。また言うことがコロコロ変わって、自分たちが悪くても絶対にあやまらない。こういう組織が教育行政に果たしてふさわしいのだろうか。

652  中には職員会議に出席してもまるで意味がないので、もうでないと言って出ていない先生もいる。

653  (問2.に 個人的には言うべき事はこんな通知があろうと発言します。しかし「ばからしい。言っても仕方ないか」という気持ちも正直あります。)私たちの仕事は将来の主権者を育てるものです。そんな場である学校で「集団のチエ」で運営がされないというのは全く矛盾です。教職員の自主的、創造的意欲のない、それを保証しない運営は学校教育の死です。生徒の可能性、人権を奪ってしまう場に教育がなってしまいます。

654  (問2.に 私は自由に発言しようとしている。ただし「言ってもムダ」という気は以前より強くなった。

655  通知以降、会議が、連絡伝達の場になりつつある。

656  都立三鷹高校 土肥校長の意見を支持します。

657  生徒の処分などに関して校長が退学がだめだと判断すれば、現場が退学を望んでも校長を説得できなくなった。昔の方が現場(職員)の意見が通りやすかったので、やりやすかった。

658  生徒には自由に意見をのべることは良いことと教えながら、教師は意見も述べられない現実をどう考えるべきか、建設的な意見がたくさん出るようにするためには、学校の言論の自由が保障されなければいけない。当然であろう。

659  活力のある組織は下からの意見がよく通るそうです。

660  発言の内容が、校長による業績評価の対象にされるのか、とか、校長面接で密室の中で、他人の足をひっぱる発言をする人がいるのではないかとか、評価者としての校長が教員との信頼をうまく作れなくなると思う。都知事を変えて、教育委員も変わらないといけないと思う。

661  ○挙手・採決禁止により、学校の全てに関して、教員には決定に参加しているという責任感がなくなり、自分たちが学校を動かしているという自覚がなくなりました。  ○校長に反対する意見を発言すると、校長の学校経営の妨げになるとの理由で、業績評価CDをつけられるので、自由な議論はしにくくなりました。

662  職員会議での発言に対して、校長面接(学期毎に年3回行なわれる。業績評価の一環として行なわれる)で、「なぜ、ああいう発言をしたのか」と副校長2人を含めて3人に言われ、それ以降、いやな思いをしたくないので、発言するのがアホらしくなった。

663  報告をきくだけで、よりよいものを作り上げようという雰囲気がない。

664  (問2には、回答として”発言する意味を確信できなくなった”と記述) 職員の意向を踏まえて学校運営にあたるとの制約下、管理運営規則導入時の約束であったかと思うが、たとえば生徒の進級等に関する問題について分掌等で議論して企画に持ち寄るという手続きを経るのでしょうか。職員会議での発言の数を頼りに管理職は職員の意向を確認するのでしょうか。それは挙手で職員の意向を確認するのと五十歩百歩でしかないと思います。

665  職員会議ではない。ただ決まったことを伝達するだけの時間になり、この会議(?)に出る意味さえ見出せない状況です。

666  自由の無い教師のもとでは生徒に自由は無い。

667  管理運営規則ができたころ、とんでもない人が長になったときどうするのか?・・・そんな話が職場の中で、よく出ました。まさに暴走する校長、和を大切にしない管理職が居ると聞きます。不適正になったときヒラ教員は、適正にもっていく術が全くなくなりました。

668  皆で話し合って良い方法を見つけ、生徒に携わろうとする雰囲気が無くなり、「職員会議で言いました」 「言ったでしょう」 という協調感がなくなった。

669  企画調整会議が実働化し、御前会議そのものとなっています。主任教諭の制度が入り、ますますやる気のなさが蔓延しています。

670  「直接責任をもって教育する」ことができなくなる。またはできにくくなる。つまり不当な支配であることは明らか。

671  本校は言いたいことは言えると思いますが、聞くところによると発言を校長と副校長がチェックして(その発言は正論である場合も)、彼らに不利な発言をすると後で異動や昇給で目に見えないいやがらせを公然とうけているという話を聞きます。おそらくかなりの学校がそういう状態かと思います。ファシズムそのもの。

672  20062007年育児休業中のため現状理解にとぼしいです。申し訳ありません。

673  結論ありきで、討論しても話にならない。

674  (問2に 現任校では幸い「思わない」が、前任校では「思った」です。) 教員の意見(実際に生徒に接し、行事等を運営している者の意見)が管理職にあがらなくなり、生徒、保護者を念頭においた運営というより、校長の都合のよい(都教委の顔色をうかがう)決定がなされている。(以上は前任校の経験より書きました。)

675  本校は比較的自由にものを言える雰囲気がある方だとは思いますが、それでも挙手採決ができず、職員会議でとことん話し合うという文化はなくなってしまったように思います。

676  通知はただちに撤回すべきである。

677  (問1と2に 新規採用なのでわからない)

678  発言の場と機会が失われ、意見を持っていても表明する場がなかったり、時期を失していたりする。教員を学校の企画・運営から排除するものである。教員は部分作業員として扱われ、全体を見なくなった。現場の当事者としての責任感、使命感、意欲が無くなってきている。学校に対する愛情、忠誠心も低下している。ある程度自己完結できる教育権を保証すべきであるが、都教委は削ぐことばかり考えている。今の都教委の下では都立高校は一流の高校になれない。

679  本校では、他校ほど影響があったという実感はないが、自由にものが言えないということは学校現場で、教育的視点が失われていくということだ。その先に見えてくるのは教育の国家統制で、今は非常に危険な状況にあると思う。

680  本校の校長は民主的な学校運営を心がけているが、それでも都教委からの指示等については発言しても無駄という気持ちを持っている教員が多い。全体の発言も減ったが、発言する人が限られてきたように思う。

681  学校によっては校長が会議中どなったり、自分の意に沿わない発言をした職員を会議後に呼び出したりするところもある。

682  「通知」は狂気の沙汰としか思えない。東京の学校は少しずつ壊れはじめており、東京の学校に生徒を通わせてはいけない状況が生まれつつあると思っています。

683  前任校では、職員会議での発言が、校長面接の際問題視されたという教員がいた。職員会議で言ったことが原因で(人事)構想外であると言われた人もいたようです。都教委の挙手禁止は確かに問題だが、法的に問題があるとまでは思わないというふうに前任校の校長は言っていました。

684  前任校では、職員会議では「何を言っても変わらないので、時間のムダだから出席するのをやめようか」と話の中で出てくるくらい教員の中で無力感が広まっていたと思う。本校に異動してきて最初の印象が、「職員会議で意見が出てくるな」というものだった。校長の姿勢の違いでしょうか。

685  (問2に。発言したくなくなった。)

686  ・本校は他校に比べると発言が許されているが、年々発言する人が減っていき、特定の23人ぐらいの人しか発言しません。  ・意見を言ったところで、最終的には校長の責任で決めるという部分は同じなので発言する意欲は減っている。

687  通知以降、学校の運営は管理職の言うことに従えばよく、教員サイドから提案しても管理職の考え次第である、となり学校全体について考えたり、良くしていこうとするモチベーションを維持するのに苦労している。

688  通知以前を知らないのでアンケートに答えきれません。申し訳ありません。しかし、以前は職員会議はもっと活発な議論の場だった、といろいろな方面で聞いています。

689  本校は自由な発言がしやすい方だとは思いますが、もうかなり前から(人事考課、自己申告書、業績評価、職員会議の補助機関化、主幹制度ほかキリがない)、何を言ってもしょうがない」という空気が広がっていたことも事実です。「日の丸・君が代」の通達も同様。 2006年の通知ははっきり言って「死者にムチ打つ」という感じでした。外部から見れば「挙手採決禁止」と聞いて奇異に思う方が多いかと思いますが、それを受け入れてしまうくらい、都立高校の現場は弱ってしまった・・・(組合も含め)という状態だと思います。09年度から「主任教諭」なる職ができますが、これでますます階層化が進み、協力協働どころか、すきま風の吹く寒々とした職場が多くなるのかもしれないと思います。学校の運営は企画調整会議(+α)で決まり、ますます職員会議が形骸化、ひょっとすると「必要なし」ということになってしまう予感もあります。PCが近々配布されるそうなので、「かくかくしかじか決まりました。よろしく。」とヒラの人にはメールが送られてきて終わり、かもしれません。

690  自主的に責任を持って働く人が減ってしまう。

691  教育の現場に宗教や政治的な傾向にある言動等を持ち込まないというのは、当然のことであり、職員の自由な意見が出せない会議は意味をなさないものとなってしまった。政治の変動があっても教育の現場では、広く真実を追求する場として残して欲しいと思う。一方的なことしか受けいれられないような教育はやはり危険なことと心配になるのは私だけかな。

692  このようなアンケートを作っていただいたことに、心より感謝を致します。全く都教委は、現場の教員の話には耳を貸しません。自分たちの都合のよい状況を作りだそうとしているだけです。都教委は我々教員にとって「敵」です。

693  年々教育現場が息苦しくなっています。外部の人にこの現状を伝える必要性を感じます。

694  会議時間の短縮という点ではおおいに効果を発揮しているが、意見を言っても無駄という雰囲気になっている。

695  通知前の本校の状況はよくわからないが、主幹制度導入、重点支援校などの制度と「適正化通知」の相乗効果で、意見が出て反対が多い案件でも、校長の一存で決まってしまい、意見を言っても無駄という雰囲気が強まった。

696  結局、何を言っても、校長が決定する形が良い方向にいっていない。職員の大勢が考えていることを全く無視する校長もいて現場はやっていられない。意見を言うだけムダ。黙っていた方が、職員会議が早くおわるという気持ちになり、きちんとした議論をしなくなっている。議論は企画会議でやっている。おまかせ状態になっている。

697  今後、自由にものが言えなくなり、会議も報告だけで終わるならば、真の意味での生徒の心の奥にひびく教育はできなくなると思う。どんなカタチであれ、意見の言える場が今、必要である。

698  教員が何を言っても最終的な決定は校長がするという思いが広がって、決定の責任を取るという気持が薄れてきたと思う。

699  言っても校長の意向に沿わない意見は却下されると思うので、言う気がしなくなった。

700  問1、問2については、厳密に言えば、この8年間の管理制度の中で、教職員が捨て鉢になっている結果であると思われる。

701  11.13通知、業績評価制度など、全体として管理職の意向を気にしている。意見を出し合い、積み上げ、決められたルールには全員で従うという意識が希薄になりつつあると思います。

702  (問2、問4に − わからない)

703  様々起きている出来事の転換点と考えます。

704  本校は閉校をひかえ、教員も3人と特殊な環境にある。多くの学校では自由な意見交換はされにくくなっただろう。

705  言っていることが無駄になると思うと、徒労を覚えます。

706  私自身は現任校へは07年に移動してきたため、それ以前のことは正直言ってわからないところが多々ありますが、やはり校長がそうとう横暴になってきているという教員のなげきは、そこかしこで聞こえます。教員の言論の自由がないところに教育はありえない、と思います。11.13通知の撤回を強く求めます。

707  例年通り、指示されたことを確実に実行することが大切であるという雰囲気が強まり、教員間で議論することがなくなってしまった。土肥校長を応援したい。

708  何を言ってもムダだという雰囲気が増した気がする。授業を成立させることができない、または生徒指導ができない人が管理職になっている現在、校長は上のいいなりになるだけで、結局自分では何も建設的なことができないと思う。そんな中で土肥先生は本当に立派だと思います。

709  校名はいえないが、ある学校の校長が、2006年末に出席ゼロから数回の科目で単位を認定し、当該生徒を卒業させた事例がある。もちろんこれは「学校経営の適正化」の事例である。

710  いろいろな意見を出して職員の意向が決まっても校長に覆されてしまうことが続き、何を言ってもしかたがないという雰囲気になってしまいます。様々なことが報告の形で出され、知らないところで具体的な意見がどのようであったかわからないまま決定されてしまいます。昔は時間はかかりましたが、職員会議で様々な意見を聞く事ができました。思わぬ立場から、違った面から見た意見も出され勉強になりました。今の若い人たちはそういう経験ができません。上から下への形ばかり整えようとしていますが自ら吸収していく場がどんどん減っていると思います。

711  特になし

712  問題のある校長だとしても「上司の命には従え」という発想で、管理的な色彩の強いとんでもない通知である。ワンマン社長のいる企業ならいざ知らず、教育の場である。自由にものが言える教育職に魅力を感じて教員になった先生は多いと思うが、現在は何を言っても無駄という雰囲気があるのが残念である。が、負けてはならないと思う。

713  学校という人間相手の教育現場に、企業の効率性を導入しても、却って、非効率であることは、現場感覚では当然である。(企業組織から見れば、学校組織は旧態依然に映るであろうが職員会議のみならず、人事考課なども百害あれど一利なしである。

714  行事その他の学校の活動への理解が深められなくなってしまった。職会で、全員が同時に話し合った方が、短時間で共通理解ができたり、よりよい方針が出せることがある。 (企画調整会議が従来の職会以上の役割を果たしていない)

715  職員会議そのものの回数も減ってきており、職員間の共通理解ができなくなってきている。校長は企画会議(企画調整会議)でうまく学校運営していきたいようだが、じっさいには、職員会議がないため、うまくいかないことも多々でてきている。

716  学校が力を発揮するためには、教職員の共通理解が必要と思われる。これは職員会議等の場での意見討論が必要と考えています。

717  広く意見を出し合い討議することによってこそ、生徒のためになる決定がなされてきた(従来の職員会議)。今や無力感から無気力が生まれるのではないかと恐れている。

718  職員会議は意見交換をし、学校運営に皆が参画する場面なので、適正な回数を保証すべきである。

719  会議そのものが無く、全ては企画調整会議で決まってしまうので、一般の教員は何も発言する機会もない。また、言っても何ともならないと思ってしまう状況である。

720  学校群制度失敗からず−と都教委の経営能力は無い!これが何十年もくり返されている。

721  何でも企画調整会議でのみで決まってしまい、全体に情報がいき渡らなくなってきたように思います。 

722  発言しても無駄だ、という徒労感もあるが、現在の企画調整で決定して、職員会議ではそれを下ろすだけという体制は、質問する機会さえ奪われてしまった。

723  職員会議の回数が少なく、企画調整会議で何もかも決めようとする本校の体制の中であの通知は、会議で発言しない雰囲気を作り出した。一つ一つの教育活動を十分に討議しないので、問題点が解決されないまま、次年度に引き継がれている。 

724  「職員会議での発言が減った」どころではなく、本校では職員会議それ自体の回数が激減してしまっている。そのため、ものが言える場が無くなってしまっているというのが現状である(企画調整会議に出ていない者は)。すべてトップダウンで上の決めたことにはさからうな、といった感じになりつつあり、職員がみんなで協力し、創り上げていくことはますます難しくなりそうだと思う。一人ひとりの職員が生徒のことや学校のことを真剣に考え、それぞれの考えを出して論議する場がなくなっていくことの被害は、結局、生徒に及ぶことになるだろうと考える。

725  上意下達方式のやり方は、ちぐはぐで予定がたたず、一部の人達だけで回っている現場は寒々しい限りです。大変な面もあるが、以前の職員会議のやり方が公平である。

726  何を言っても仕方がないといった雰囲気が強くなり、教員の意欲を減退させた。

727  都教委はこの先、都立高校をどのようにしようと考えているのか、実態がわからずして机上の空論ですべてを決めようとしていることに戸惑うばかりである。昨年まではすべてトップダウンで、いつのまにか決まっていたということが、あまりにも多い学校で、結局は内容が充分に吟味されぬまま、ことが進んでいた。被害をこうむるのは最終的には生徒であり、何も言えず、働かされている我々ヒラ教員である。この先、一般教員の待遇が増々悪くなり、働く意欲がなくなれば、学校経営などうまくいくはずがないと考える。結局、実働は一般教員なのである。それを把握しているのであろうか。

728  職員会議においては、一つの事柄に時間をかけ、教職員全体で話し合い、理解し合い、合意形成をして、校務に当たることが、昔と違い、全くできない、できていない。職員会議は企画調整会議での復唱に過ぎず、皆、興味・関心が薄れている。企画調整会議においても、分掌での報告・検討課題の進行状況の報告が大半の時間を使い、話し合いになることは稀であり、時間も割けない状況である。分掌部会での話し合いの時間についても、さまざまな課題解決をしていこうとするための時間確保ができなく、企画調整会議の報告や他分掌の進行報告で時間が終わってしまうことが多い。現状の会議などの構成(企画・職会など)では機能が低下していっていると考える。

729  学校全体の活気が失われ、与えられた事だけやればよいという風潮を生んだ。都立をダメにする政策である。

730  校長がリーダーシップを発揮するには、校長に実力(能力、ポリシー等)がなければ意味なし。真に教育力があり、信念のある人物が校長になっているかというと……。

731  新聞を読んでびっくりしました。すごい。校長の立場で、あの発言をするというところに価値がある(社会的に与える影響力は全然ちがう)と思います。勇気ある発言だと思いました。

732  憲法違反(19条)か否かの判決を早く出すべき。納得のいく内容の判決が待たれる。司法が行政に完全に負けている現況を正すべき。管理職と一般教員の給与を逆にするとよい。それでも管理職になる人は本物だと思う。何故、管理職の方が一般教員より給与が常に高いのか、その教育的観点からの理由が不明。

733  本校では割と自由に自分の意見を述べている人が多い。私が昨年まで勤務していた学校では、校長の意見に異議を言うと、校長の口から「異動してもらう」などと職員会議で言われ、何も物が言えない雰囲気があり、会議は「報告会」で終わっていた。

734  最終的には、すべてが「校長の判断でやります」で済んでしまうのだから、建設的な意見を出そうという気持ちになれない。(校長アンケートで「ほとんどの学校で建設的意見が出され・・」というのは、校長にとって都合のよい「建設的」意見にすぎない。「どうぞご勝手に!」という学校全体の雰囲気である。

735  言論の自由は、日本国民にとって非常に大切な権利であると思います。しかし、東京都の教育公務員という立場であり、東京都という組織で勤務している上では、この言論の自由が100%認められるのは不可能であり、どこかでがまんをする必要があると思います。

736  本校はよいほうだと思うが、企画調整会議で決定され、伝達する会議となってしまっている学校が増えていると聞く。校長の報告(都教委からの話)ばかり多くなっている。

737  協同意識が薄くなった。

738  校長の一部教職員に対するパワハラ的言動が、教職員の間で問題になった。

739  自由にものを言えば、異動・校内人事等確実に悪影響がある。いいことなど何もない。

740  反対すると評価がこわい。校長のパワハラあり、具体的には「あなた要らない」「転勤願を書いてもらいます」

741  民主主義を教えるべき教育現場で、教員による職員会議が、トップダウンで教師の意見が出しにくいのは、全くおかしい。

742  (問2に)  発言しにくくなったとは思わないが、言っても仕方ないという気持ちが強くなりました。

743  採決してはいけないことになったのがよくない。結局は最後は校長が決めることになり、職員会議が議決機関でなくなったのが悪い。

744  教員が何を言ったところで、すべては校長の気分と企画調整会議で決まる。経営者と従業員という関係にならざるを得ないのであれば、発言すること自体ムダであり、校長どうぞご勝手にというしかない。

745  何を言ってもムダだという雰囲気が蔓延しつつあると強く感じる。

746  校長は職員会議をムダな時間と考えており、ていねいに手順を踏んで議論して事を決めるという姿勢がみられない。重要な事項を企画調整会議だけで決めようとしており、いつの間にか校長の意向にそった決定がされてゆく。そうした流れの中で、発言しもムダとの空気が濃厚になってきた。

747  「私が判断する」の一言で決まってしまうので、「言ってもしかたがない」という空気が広がり、みんなで話し合って、ひとつひとつていねいに確認するという場がもてない。職員会議を軽視し、企画調整会議で一部のひとにだけ管理職が話しをするので、情報が伝わりにくく、質問や確認する場すら持てない。結果として、職員の仕事の連携がとても悪くなり、仕事の質が落ちている。

748  学校に言論の自由を取り戻しましょう!

749  校長に対してセンターが行なった聞き取り調査で「無駄な発言がなくなった」と肯定的な回答をしている校長がいた。他者の発言を「無駄」と評する傲慢さにあきれる。挙手・採決を禁止する通知は「都立学校の管理職には指導力・説得力が欠けているので、教員の口を封じないとやっていけない」と全国に公表しているに等しい。管理職にとっては屈辱的な通知のはず。

750  教員が意見を出しても全く意味がないという雰囲気になってしまいました。学校によっては、校長よりの発言でなければ(その後の業績評価で不利になるのをおそれて)発言できないようなところも実際にあります。生徒や保護者と日々接しているのは管理職ではなく教員なのに、これでは学校が良くなるはずはありません。

751  校長がどんな「人格者」なのかが非常に重要である。校長に決定権があるのは別にかまわないが、やり方が下手だと、職員全体のやる気をそぐ結果になる。校長になるべきふさわしい人かどうかがとても重要な気がする。

752  通知後あきらかに「言ってもしかたない」との声が多くなりました。決定が管理職にまかされるため、その負担と、教員との「何を言っても管理職が決めるんだろう」という感情を考えると、学校内の協力体制をつくれなくしてしまった気がする。(教職員歴13年目)

753  昨年、本校へ転勤。以前の学校では、今の学校以上に通知後も議論はされていた。本校では議論されていることはなく意見聴取の場と管理職から話、報告会。(教職員歴29年目)

754  多数決が取れないことに不便さは感じる。

755  (問1,2 すみません。回答できません(教職員歴6年目))

756  勤務評定の強化と合わせて、反対意見を言いづらい、言ってはいけないという無言の圧力をひしひしと感じるようになった。勝手にやって、という気持ちになることがある。校長の雰囲気にも大きく左右されると思うが。(教職員歴23年目)

757  教育の現場で必要とされていることが、何なのかを考えてほしい。考える力をもった教師を育てなければ、自分で考える力をもった子どもは育ちません。日本教育は危ないと思います。(教職員歴5年目)

758  (問4に わからない) 自分の考えをしっかりと持っている人や、議論をして、考えを戦わせようという若い人(30歳以下)が、ほとんどいないので、この通知でどう変化したかわからないところもある。(教職員歴20年目)

759  自由を生徒に語るべき教師が、自由を語れない状況にあって、生徒に何を伝えられるのだろう。(教職員歴29年目)

760  意見を言っても仕方がないという雰囲気はあると思います。残念ながらそれが現実です。そもそも情報それ自体が減ってしまった気がします。つまんない仕事になりつつあるというのが実感です。(教職員歴 18年目)

761  都教委はおかしい!! (教職員歴 27年目 主幹教諭)

762  ◎以前は自分たちの学校を自分たちで変えていく、という意識を持って発言していたので、自分の中でよく考えていたと思いますが、最近はそういった意識は少なくなりました。◎また、ひとつのことを全体で考えていたように思いますが、最近は各部署からの報告だけのことが多いので、全体で考えている感覚がありません。校内に縦割り行政が入ってきた感じです。(教職員歴 17年目)

763  (問2 発言しにくいとは思わないが、発言してもムダな気がして発言しなくなった)通知はやる気をそぎ、あきらめを生んだ。(教職員歴24年目)

764  2006年の在任校で、主幹が都議に職員会議に挙手が行なわれていると報告し、挙手がなくなった。以降、職員会議で意見や質問を行ったところ、勤務評価において、「学校経営に協力していない」と校長に言われ「C」の評価だった(他の項目はAB)(教職員歴5年目)

765  職員会議が報告の場となり、議論を通じて互いの認識を高めあうものではなくなってしまった。意見を言う意欲が全体として薄れてきた。どうせ校長の判断は決まっており、言ってもムダという気分の表れ。

766  発言はできるが、勇気が要る。また発言しても結論は変わらないので、無力感から発言しない教員も増えた。職員会議に報告された時点で、事実上決定していることが多く、その決定過程も見えず、議論に参加できないことが多い。

767  土肥校長以外の当該校の教員からは、校長の主張ほど現場は感じることはなく、退職直前のパフォーマンスは迷惑だ、との感想を聞いています。立場ごとの見方のちがいを騒ぎ過ぎるのはいかがですかね。

768  問2で「2」となっている理由・・・年齢、経験が最高になっているからで、一般には窮屈に感じている方が多いでしょう。

769  (問2に 私はあまり気にせず発言する人なので) まず企画調整会議を中心に運営するという方式が教員の意志疎通が回りにくくなったと思う。さらに採決もできないのでは会議に参加する意味がないと感じる人も多い。そして、どうせ言ってもムダという空気になりつつあると思う。

770  トップダウンの意思決定では、なかなか全員がひとつになって仕事するのは難しいと思います。

771  職場に蔓延しているのは、校長ほか管理職がやりたいようにやればよいではないか、という投げやりな態度であり、昔のように皆が学校経営について、あるいは学校の将来について議論をするような場面は全く無くなった。こんな雰囲気の中にあって学校現場に活気など生まれるはずはない。中には職員会議の中で、「すでに企画調整会議を通じて伝えてあるのだから職員会議の中で意見を言うな」と言い出す主幹が出てくる始末である。

772  「建設的意見が出されている」などというのは現実とかけ離れている。企画調整を経なければ議題としてもち出すこともためらわれる中で、どのような建設的意見が出されるというのか。そうした声が出ないようにするために通知を出したのだろうから、「建設的意見が出されている」などという回答を良しとしているのは矛盾しているだろう。

773  分掌の会議での意見が無視され、一部の主幹の意見のみが校長に伝わっている。職員会議で発言しても「それは議論済み」と無視される。『意見は分掌の中で発言せよ。しかし学校経営には反映させません』という体制ができ上がっている。

774  並行して企画調整会議が設けられたが、何の機能があるのか全く分からない。ただ物理的に時間を拘束されるだけで確実に部活指導や、授業準備の時間が削られている。

775  各学校の抱えている問題は、現場でそれぞれ責任を持ってその職務に真剣に臨む教職員が、それぞれの立場からしっかりと見つめることから、解決の糸口が見つかり、手がかりが得られ段階的に解決の方向へ進むものだと考えている。職場の一部の人間が少ない情報、そうでなくても偏った情報にもとづいて話を進めるより、多くの人間の目で様々な事柄を話し合ったほうが、多様な生徒に、より対応できる。さらに本当の意味で効率的、合理的なことが多い。ぜひ再び職場に言論の自由を。

776  有害以外の何物でもない。

777  職員会議で賛否の挙手を認めないことは、言論弾圧のなにものでもない。教育現場に言論の自由を取り戻そう!!

778  まだ発言するに至ってはいなが、ゆくゆくは不自由を感じそう。 発言の多い先輩が面接のときに注意を受けたと聞き、驚いた。

779  発言が(職員会議、校長面接も含め)学校経営方針に協力しないと一方的と言われ、強制異動させられようとしています。何度か校長と話しましたが「校長の考えていないことを言ってはダメなんだ」と校長から言われました。ポリシーを持って話すだけでも、もうダメな時代になり、大変失望しています。

780  ○採決禁止のために話し合いがスムーズに行なえない。○職員会議での発言が、業績評価や人事異動の際のマイナス要因として使われているようだ。

781  言論の自由、表現の自由、学問の自由は憲法の保障する守るべき大事な権利です。私は教員には(ある程度の)教え方の自由も保障されるべきであると考えています。

782  通知自体よりも通知にかこつけて「職員会議で反対したから」人事構想外で異動させるという現実は、由々しき問題である。

783  民主主義のイロハ。それを無視するなら北朝鮮と同じ。

784  「結局、校長が決めるのだから、何を言っても仕方がない」という雰囲気が強くなった。生徒の進級に関わるようなことも、生徒と直接接していない校長の独断で決めるのはいかがなものかと思う。

785  人望のない管理職、あまり有能でない中間管理職にとっては都合のいい通知であるが、権力で言論を封じるという前近代的なやり方は民主主義の国においてはあるまじき行為、それも教育の現場においてこんなことがまかり通って行くなんてトウキョウはなんと原始的で野蛮な支配を受けているのでしょうか。

786  教員が自由に発言できないのに、どうして生徒達に「自分の意見を」なんて言えるんでしょう。何を言っても意味がないなと無力感で一杯です。

787  ・若い先生方が、のびのび自由な発想が少なくなったし、先生方同士のおしゃべりや雑談がなくなった。 ・面倒なことになるのなら発言しない(??)傾向もあるのか? ・生徒にとって、何が一番大事なのかをもっと考える必要がある。

788  真に信頼できる能力のある管理職にとっては必要がないどころか、有害な通知です。この通知で助かる管理職って・・・?

789  学校経営の方針について非協力的な極端な教員も一部にはいることと思います。ただし、民主主義の国家における公立学校ですから、校長は学校経営に関する指針を自分の言論や熱意でもって実現してゆこうというのが本来のあり方であると思います。多数決が必ずしも良いとは限りませんが校長自身ももっと説明責任を果たすものだと考えます。

790  職員会議が議論の場ではなくなり、報告伝達の場になった。議論しても採決がきんじられているので当然である。この事は職員会議にとどまらず、職員室に於いても、学校全体に於いても自由な雰囲気が失われたと感じられる。

791  職員会議は意見を発言できなければ単なる時間の無駄です。以前の状態に戻ることを強く希望します。

792  都教委からのアンケート(調査)がいつ我々のところにまで降りてくるのか楽しみにしていたが、肩すかしを食らった。管理職に聞けば事足れりとする都教委の態度に呆れるばかり。恐ろしいのでしょう。怖いんでしょう。ますます、都の教員は勧められなくなりました。

793  (前任校で)校長は「○○先生の意見ですね。聞いておきます」と返答せず、議論は深まらない。生徒・保護者を大々的に巻き込む大事件を起こしながら、総括要求にも応えず、卒業式で「申し訳なかった」のひとことで済ませてしまった。

794  意見を言っても無駄だという思いが強くなった。言っても結局一部の主幹と管理職で決めてしまう。学年の意向も無視された指導方針を押しつけられた上に生徒の指導は学年でといわれても納得がいかない。意見の押しつけから良い教育は生まれない。

795  業績評価で、校長の学校運営に反対意見を言うことが多かったから、その分評価を落としたと前任校校長に8年前に言われたことがある。2003年からは異動要項改定で、校長の意に添わなければ1年でも異動させられるようになった。「不利になる」という懸念から意見が出しにくいことに加えて、採決禁止とまで言われ、「議長」ではなく「司会」と呼ぶ。「司会」は校長が決めるなどのしばりをかけられては学校のため生徒のため良かれと思って意見を言い続けるのは、よほどの勇気と覚悟を要する。

796  生徒指導のあり方について、管理職と異なる意見が言いにくくなった。その傾向は年々強まると思われる。

797  連絡調整会議をはじめ、一般職員の見えない所での学校運営の進め方に何の意味があるのかと思っている。現場の声を一番に大切にする体制をしっかり残してほしい。

798  教員同士の考えや思っていることが発言をしなくなってきた分、見えなくなっている。意思のやりとりや、意見のやりとりが無くなっていることの害は、現場へ悪影響を与えている。

799  多数決で決めることは必ずしもいいことではないが、教員の意見を聞く事すらしなくなった管理職もいる。つまり職員会議を単なる伝達機関としか考えていない管理職がいる。

800  多数決には当然良い点と悪い点があるのであって、都教委は、その良い点だけことさら強調しているように思う。しかし両者のあのぶつかりは少しむなしく感じる。少数の教員が生徒のためによいことをしようとしても「時間が・・・・、人がいない・・・」等、多数派でつぶしたのは年上の教員たちではなかったか。少数意見を含め、充分な議論を出来、最後は全員が納得して、全員で事にあたる。そんな文化が都立高にできなければ、多数決はなくしたままで良いと思う。

801  問1と問2に関して言うと、発言しても虚しい。どうせ数年で異動、退職するのだから。こんな学校 どうなってもいいやという気になってくる。

802  通知以降、採決は出来ず、意見を言っても言いっぱなしの感があります。また、校長に反対の意見を言う者に、前校長はCをつけた、という事実もあります。(それに対して、勿論組合分会としても抗議しました。)くやしいけれど、「意見を言っても・・・」という徒労感があるのも確かです。(だからと言って「黙ってばかりだともっとやられてしまう」から頑張らないといけないのですが・・)

803  ・議論をして何かを築いていくことは大切なことなのに、今の学校現場は、それができない。・若い先生方が会議の議事運営を知らないまま年数を重ねていくことを考えると恐い。修正案の提出や、動議や、採決方法など、生徒に教えるべき民主主義のあり方が、教師に身につかなくなる。 ・校長は力不足の人が多く、「独裁者」になってしまうと学校がめちゃめちゃになる。

804  東京都教育委員会は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行なわれるべきものである」ことを忘れ、あるいは無視して、教育委員会に服従することが大切であると主張している。戦前への回帰をめざしているように感じる。恐ろしいことである。

805  民主主義を教える場としての学校が、上命下達の組織になってしまったのでは、民主主義社会はあり得ない。教員が自由闊達に議論できない中で、それぞれ自分のカラに閉じこもり、生徒に希望を語れなくなっている。

806  言う人は言うが、「どうせ言っても決めるのは校長の一言だし」とか「下手なこと言うと次年度(特に異動がらみなど)に響くと嫌だし」という気分が蔓延していることは確か。何かと集議というよりは校長に事前に話しをつけておけばOKという雰囲気もある。

807  問3でA(ない)に○をつけたが、「言論の自由が直接無くなった」というより、「無力感(あきらめ感)」から発言が減っているとは感じられる。

808  みんなでひとつの学校を作り上げていくという前向きで楽しかった気持が消え失せた。管理職が勝手に決めたことをやらされているだけで、全く仕事がつまらない。精神疾患で休職をしている教員が増えている現実をどう受けとめているのか。教員はロボットでもペットでもない。ましてや管理職の子どもでもない。1人の目的を持って教員となった人間として不愉快極まりない毎日である。

809  私は組合員ではないのですが、この10年間で都教委がやってる事は、ただの締め付けであり、憤りを感じる。こんなことを続けていて良い学校になるとは考えられない。魅力を感じない。

810  ばかげた通知で、言葉が出ない。世界の笑いもの。こんなことが必要になるほど、都教委や校長は劣化しているのだろうか。

811  生徒に対して、民主的な言動とは何か、平等な扱いとはどういうものか、真の自由とはといったことを考えさせ、それを行動に移すことによって民主的で自由な教育を行なうべき教育現場に、都教委という独裁者集団のごとき、反教育的役人達が上意下達によって校長以下、副校長、主幹、教諭を、この序列による命令の学校経営を行なうことは、きわめて反教育的で腸が煮えくり返る状況であり、かつ教員の士気の低下を招くものである。

812  ・「言って何になる」という気持である。・面従腹背でないと生きていけない。校長には裸の王様になってもらうしかない。

813  教員全員、学校全体で、創り上げていくという雰囲気はない。子どもを育てるのではなく、評価が先行し、教育の原点が失われつつあるのが実態だと思う。

814  いやしくも民主主義を標榜するのであるならば、その民主主義の主体たる個人を育てる教育の場において、知らしむべからず依らしむべしの運営形態をとるべきではない。手間のかかるシステムであることを承知の上で、民主的な形を維持する覚悟が運営する全員に必要なのではないか。意志決定の効率化は、ある程度は必要であろうが、そのために言葉をつくす、情報を共有するという姿勢が管理側に欠如していると感じている。

815  都教委の調査自身がペテンであり、88%の管理職が「いいえ」と答えていることそのものが、管理職が自分の意見を言えなくなっている証拠だ。

816  「職員会議で意見を言う教員が少ない(いない)」ことをもって、自身の学校経営がうまくいっていると考える校長が増えている。構成員の「意見」なくして組織は活性化しない。との「意見」とは常に公に発信されるものである。

817  校長が責任を取る事項に関して、最終的に校長判断で決することは正しい。しかし校長意見が人事に反映する以上、校長の嫌がる内容を発言することはできない。あえて発言しても、決定は変わらない。リスクのみ存在してメリットがゼロの発言は意志決定行動学的にない。

818  職員会議が単なる連絡の場になってしまっている。教育委員会などは、自由に意見も言えるはずだし、経営にも参加できる筈だ・・とバカなことを言っているが、現状を知らなさすぎる。現状では学校経営に参加しているとは思えないし、そのため労働意欲も沸いてこない。

819  いろいろな事柄が一部の人の間で決まっている感じがして、そのことに対して多くの人がどのような意見を持っているのかがわからない。言ってもしかたがないという感じが自分自身にもあり、ずい分発言が減っている。言うべきことは最低限言っているつもりだが、他に誰も発言しないと、むなしい思いをする。協議をしてはいけないので、重要な事も知らない間に決まっている感じがして、私には関係ない、担当の人が勝手にやってという気分になり、協力も薄れてくる。

820  1113日都教委は「挙手・採決の禁止」通知は適正であると結論づけた。そもそも都教委のファッショ的体制で管理職が真実を伝えるとは到底思えない。このような調査は全く意味がない。わが職場では校長(都教委)の上意下達の”結論ありき”のやり方では何を言っても空しいという雰囲気が作られ、意見を言う人がめっきり減った。本来教育の現場では職員が自由に意見交換して、より良い教育をめざすのが筋だろう。民主主義を教える立場の者が”挙手・採決の禁止”をするのはとても恥ずかしく悲しいことである。即刻撤回してほしい。

821  責任が校長にあるゆえに、校長の決断が反映されるのは仕方がない。しかしその決断は、学校現場とはかけ離れたところでの決断(都教委とのパイプ)に偏ってしまうのは危険だと思わざるを得ない。校長と都教委が実際に生徒と接している教員の意見を吸い取らないということは、学校の崩壊、教員の無気力化、サラリーマン化を生んでしまう。教員の意見を聞くべき努力は失ってはいけない。

822  校長のリーダーシップとは、職員会議での採決を禁じて成り立つと考えるところがまちがっている。 校長はその識見と高い専門的知識によって教員を感化して引っ張っていくことから「校長についていこう」という気持が生まれてくる。それがリーダーシップというものであるはず。リーダーシップと専制を混同してはならない。

823  反対意見や異なる意見を尊重してこそ組織は力を維持できる。歴史が証明していることである。このままでは日本は国際社会の中でますます遅れをとる。

824  学校はひとりひとりの教員が主体的に学校全体のことを考えることによって有機的な組織となる。「適正化」通知によって、学校はタテ割り組織となり、教員は組織の部分を担う部品となってしまった。発言してもムダという空気が支配し、建設的な討論によって学校をつくっていく意欲がそがれている。主任教諭制度などで賃金による差別分断が行なわれ、「適正化」通知による閉塞感により学校はまさに死に体に近い。

825  現場から集約したもので運営する、ではなく現場にたずさわっていない(教室、そして生徒への直接のコンタクトのレベルがない人たちという意味で)ところでの考えで、運営され、意見も取り入れられない。だったらしようがない、と発言、意見交換が本当に少なくなった。一言で言えば「当事者意識」が持てない状況になった。

826  教職員の意見が生かされない、また意見を言ったところでどうにもならないという雰囲気は確かにある。自由に意見を言い合い、多くの考え方を知った上で行動を決めていくのが教育であると思う。土肥校長の行動に賛同する。学校に言論の自由がないなんて「学校」ではない。

827  教職員同士の意見交換などはほとんどなくなり、単なる報告会になっている。意見を述べてもそれが反映される事は少なく、言っても仕方ない・・というあきらめの気持ちになってしまっている。教職員全体が集まる唯一の場である職員会議で意見を述べる雰囲気がなくなってしまったため、お互いがどんな意見をもっているのかということもわからなくなっている。学校現場が事務的機械的になってきており教育への害にしかなっていない。

828  民主主義の国において国民を育てる学校でこのような通知が出されること自体信じられないようなことだと思います。より多くの人にこのようなことが起こっているということを知ってもらいたいし、そうしなければならないと感じます。

829  やる気が失せてくる

830  この通知により、職場の士気は確実に下がっています。

831  何を言っても”結果”は決まっているので、時間のムダかなあと思って何も言いたくないと思っている。

832  現場の教職員の意見は尊重されなくなっていると思います。職員会議で創造的な発言は見られなくなっていると思います。単なる事務連絡であったり、結局校長決裁なら、職員会議はただの時間のムダなだけであるとさえ思う。

833  年々息苦しくなってくる。

834  定年まであと1年の者ですが、ますますヤル気をそがれます。給与も減額され、早く辞めたい気持です。

835  即刻廃止すべきです。

836  生徒やクラスの実態をほとんど把握できていない(間接的にしか知らない)管理職が学校の運営方針を独断的に決定するのは危険である。

837  職員の賛否を問うとして挙手を認めることくらいは大切なことであると感じる。職員会議がたんなる連絡、報告会になっており、意味がなくなってきた。企画調整会議の構成員は管理職希望のYESマンのみであり、非常に危険である。

838  土肥校長の勇気ある発言を全面的に支持します。

839  発言はできないわけではないが、言い放しという状態になり、態勢に影響はない。だからどうしても物申したいという人が発言しているような状態だ。こうなると上に立つ校長の見識にかかってくるわけで、バカな上司に当たるととんでもない結果となる。一部の私立のようになる(殿前の大成高校)。不幸なことだ。長い教育の歴史の中でも最悪の通知だ。

840  何から何まで多数決で決めることがよいとは思わないが、生徒指導はもとより学校運営まで教職員が主体的に関わっていけるようにしないと一般企業と同じタテラインだけで動く学校になってしまう。これでは教育活動ではない。職員会議の”補助機関”化も含めて見直し、撤回されなければならない。

841  職員会議は、いろいろな立場から意見を出し合って、より良いものに仕上げていくというのではなく、上意下達の場になったと感じています。意見や実態を述べてもむなしさが残るのみで、やる気も半減してしまいがちです。

842  職員会議による意見交換や議論があった頃は活気にあふれ、誰もがよい学校にしようという気持があふれていた。今それもなく、仮に意見を述べたとしても続くものがない。結果、校長の「共通理解をはかれた」で終わる。共通理解していないにもかかわらずである。こんなの歪みでしかなく、最大の被害者は子どもたちでは?

843  あきらめ

844  平の教諭は発言や意見を求められていないと思う。聡明で建設的な意見を吸い上げる機会もない。

845  何を言っても、結局校長が「私の本段でこうします」と一言でまとめてしまい、発言をしても「どうせ言ったって」という雰囲気が漂っている。前任校の校長は特にそういう方で、その結果朝の打ち合わせボイコット運動に発展した。これがどうして「学校は適正である」と言えるのか。また、この校長が決定した方針について、後任の副校長がうんざりした顔で引き継いでいる様子も話しに聞いている。決定権は校長にあっても、独断に走る人は人の上に立ってはいけない.

846  平成20年度の初任者なので、採用以前のことはわからないのですが、話は伺っていました。意見を述べ合うほうがいいと思ってはいます。

847  教員の意見は必要ない感じですね。

848  都教委の考える「学校経営の適正化」とは、「上」の考えが「下」にうまく通じていけば組織はよいものになる、とする、きわめて単純な役人的発想だと思います。そこからは”教育”が抜け落ちてしまうということに気づいてもいないし、考えることもない。そして、その流れで、教員も動かされているから、教員「仕事の中から、教育が抜け落ちてしまう」というのが、現状でしょうね。しかし、だからといって、戦後民主主義に戻ることはできない、というところが、困難な所です。

849  意見を出し合うことによって、お互いの信頼関係や問題処理も進むのに、妙な疑心暗鬼が全体に広がり、よい状況ではない。打開策を討議する機会も少なくなってきているのは、どうしてか。

850  自由に発言ができて、学校をよくするために管理職、職員が協力すべきである。

851  トップダウンが有効の場合もあるが、個々の教員の意見は反映されにくくなったように感じる。

852  2年目なのでわかりません。

853  教員が無気力になり、責任感も薄れ、どうでもいいと思ってしまう。

854  2006年異動してきたため2005年度との本校の状況の比較はできない。

855  「全てを企画で決定し、職員会議は伝達のみ」だが、企画でも決定されず、意見を吸い上げる場(あるのか?)も機能せず、何となく忙しく、どうなっているのかわからないまま日々がすぎていきます。

856  教育情報の共有、教職員同士の論議による生徒指導方針のねりあげは「自由な職場内の雰囲気」が必要です。その雰囲気がなくなってきました。

857  お上に逆らわない、逆らわせないという戦前の教育に少しずつ戻りつつあると感じる。今の東京都の教育をリードする上の人々が、常識を逸した知識・センスしか持ち合わせていないのが問題だ。

858  発言しにくくなったというより、発言してもしかたないという雰囲気になってしまった。現場の教員の意見を聞かないというのは、独裁国家と同じであり、全くバカげていると思う。

859  何を発言しても、異議や疑問を発しても主幹司会が「ご意見として・・・」で終わってしまう。質問しても「そんなご意見もあって・・」でまとめてしまう。若い人たちは全く発言しようとしません。静かな職員会議です。多くの意見が出て、採決があれば、どちらに挙手しようか真剣に考えます。校長が決めるんだから、と思えば、責任もないし、深く考える必要もなく、自分の態度決定も不必要となってしまいます。

860  職員会議で何を言っても無駄といった雰囲気が出てきて、職員会議の時間が短くなった。

861  悪影響をなきものにする以外になし。『勇気をもって』発言するべからざんや。

862  一般教員はもちろん、校長すら全教員の総意を確認するすべを失った。どんな発言をしたって、最後は校長がきめちゃうんだろ、というような雰囲気が強まり、職場のまとまりが弱まった。

863  職員会議で、管理職に質問してもまともな答えをしない。

864  (発言数が変わらないとしたのは)頑張って発言するぞと決意を行動に移しているから。ただし今のところは。今後には自信がない。

865  「建設的意見が出され、適正な学校運営がなされている」ことにより、多くの教員が仕事に疲れ、精神的にも追い詰められ、仕事への意欲を急速に失っていく中で、「国家の要求する教育」が実現されつつある。

866  (通知は)言ってもしようがないという雰囲気にはなったと思う。

867  言論の自由はさまたげられたとは思わないが、教員の意見が反映されにくくなり、「言ってもムダだ」と感じるから言わなくなった。

868  会議で発言しても学校運営上の決定には、直接の影響がないので、発言してもムダだという雰囲気が濃くなった。あきらめのムード

869  相互に情報や意見を交換し合わないことによって、学校教育の現状を把握しにくくなり、教員同士が協力し合って生徒指導や学校運営にかかわる意識を、低下させていると考える。

870  自由な発言ができなくなったと共に、案として出されたものの内容を練って、よいもの(まともなもの)にすることが行なわれなくなった。

871  意見を発言する意欲が失われたことは確かです。またそんな通知を出す教育委員会に対しての信頼が一層なくなりました。

872  「学校経営の適正化」の通知は本当にばかげていて、ふざけている。教育をダメにするだけである。

873  会議等が時間的に効率良く進行したとしても、内容に問題があれば適正とは言えない。会議等は、議論を積み重ねて、より良い教育内容を検討し、採決していく場であるべきである。

874  職員会議が伝達の場所・時間となって物事に深まりがなくなっている。

875  カリキュラムの改訂にあたり、一部の教員と管理職の主導により大多数の教員が望まない方向への改訂が行なわれた。私自身は校長面接においてそのことについて再三意見を述べたが、職員会議においては意見を述べる機会は無かった。通知以降、学校全体の進むべき方向にかかわる事項においても活発な議論が行なわれることなく、管理職や一部の教員の成果主義によって全体の望まない方向に進むことがあるような気がする。たとえ自分の意見が通らなくても議論の中で反対意見を通して自分の位置を確かめたり、議論の中でゆっくりと合意や結論が醸成されたり、また教員自身が責任を持って学校に関わる重要事項を決める機会が全くう失われてしまったことは残念でならない。

876  言論の自由を直接疎外しているわけではないが、「言ってもいいけど、結論に何ら影響しない」というのでは発言する意味がない。少し違うかもしれないが、投票権のない人にも発言だけは自由と言っているようなもの。発言や討論を無意味化してしまったものである。

877  学校管理職はとから言われた事を伝えるだけの伝書鳩、職場の和等を考えることもなく、単に管理しているだけ。職員の実情の考慮もない。まるで倉庫の管理番と同じである。学校の状態に合わせた判断をしなければ真の平均明快の教育もありえないのが、実際、学期の終わりに授業をつめると、補習・補講の時間が取れる。結果、退学者が増える。これも都教委の政策を学校にすりかえているものと思われる。

878  職員会議で、何を言っても無駄という雰囲気が拡がった。

879  校内で積極的に意見を述べ、建設的な学校運営に参加しようという気持、意欲がうすれてしまいました。ああすればいいのに、こうすればいいのにと、そのつど思いながら「ま、仕方ないか」と思って黙っていることがとても多くなったと思います。「'06適正化」は教員のやる気、アイディアをとりあげた全くの悪通知であると思います。日本の若者たちにとって大いにマイナスです。

880  発言しても自分の意見を汲み取ってもらえるという実感がなくなった。発言数は確実に減少した。

881  職員を給料他評価する立場にある管理職の前で、自由闊達な意見を言えるはずがない。東京都の学校からは民主主義は完全に無くなったと思う。

882  生徒に対して学校全体(教職員全員)で対応しなければならないと思う。それなのに会議で発言や採決ができなければ、共通認識や情報の共有ができなく、管理職や一部の者がやればと思ってしまう。一人一人の教員が、自主的、積極的でなくなってきているように感じる。人の考え方や心をコントロールしようとしている都教委は危険だと思う。

883  職員会議中の発言はなくなっていないとしても、発言イコール建設的な意見とは必ずしも限らない。最近の職員会議では意見ではない単なる質問(結論が決まっているようでどうにもならないので皮肉を込めた質問または矛盾点を突いた質問)が増えたように思う。だいたいNOと言えないような都教委と管理職の間でとったアンケートに何の意味があるのか疑問である。NOと言えない管理職に同情する気持は全くないが、校長にはぜひ間違っていることは間違っていると言える人格者であってほしいと思うのみ。

884  管理運営規定変更以後、職員会議の重要度が低下する中での通知であり、職場の状況が悪化したのは明らかである。

885  管理職の「こうなりましたので、よろしく」というような発言が、職員会議で多くなったように思う。一般の職員からも「議論はもういいですから、やってください。」という発言もあった(前任校での経験)。以上のようなことと連動して、「めんどうくさいから、言われたことをやっておこう。」という雰囲気が漂い始めているように思う。

886  「適正化」以降会議での発言が減ったのみならず、教員間のつきあい、人間関係も希薄になったように思う。

887  通知そのものの悪影響より、ここ何年かの制度の改悪(業績評価など)の方が、より深いカゲを学校におとしているように感じています。また、発言の数より質が問題かもしれません。

888  職員会議が上意下達の報告会となり、自由に意見を述べ合う会議ではなくなってしまった。

889  たまたま校長が理解ある人だったというだけで、他校ではかなり悪影響があると聞いている。

890  反対意見を言っても、最終的に否定されるなら、発言する気持はなくなりますよね。

891  完全に上意下達機関になり下がっています。

892  何を言おうが、意向調査をしようが、最後は「校長の判断でよろしく」という状況になりました。職員会議で何か言っても何も変わらない。その結果(是非を問わない職員会議)導入された制度で、学校はガタガタです。

893  教員全員の意見を聞けるのは、多数決であり、大切にしていきたい。

894  管理運営規定や各種通知は、教員の言論の自由を規制するだけで、職場が分断され、仕事をする気がなくなってきた。仕事がきつくなった。

895  発言ができなくなったわけではないが、教員の発言の「重み」が限りなく軽くなったことで、発言しても無駄という雰囲気が生まれている。

896  意見を言う場がなくなり教員同士の意見交換もできない。教育現場の雰囲気も非常に悪くなった。

897  会議の内容が管理職・主幹からの一方的報告の場となってしまった。

898  管理職の人柄によって、かなり違うと思う。高圧的、独善的な管理職だと「意見を言っても仕方がない」雰囲気になるだろうと予想する。やはり職場の団結が大事だと今回の件で実感した。今まで団結して民主性が守られている職場だと、通知の通りにすぐ変えることなど無理である。

899  なかなか難しい。ただゴネるという人たちが減ったのは正直良いと思うが、ひどい管理職になったら終わってしまう。そういう感じです。

900  学校内のことがなかなか外に伝えにくくなってきています。「守秘義務」の範囲を拡大し、市民や生徒、保護者の方々に学校の中でどのような形で事が進められているか、このように関心をもって運動してくださることに感謝しています。 校内では校長(+副校長)の思いどおりです。主幹も主任も後々の昇進への影響を恐れてNOと言いにくい様子。体に無理してまで様々な仕事をさせられています。病人も56名とおおくなっています。病休者3名。

901  管理職の独壇場で、挙手ができない(その場面がない)というのは、民主的でない形で運営されている。

902  都教委の管理職に対する調査は無記名でおこなったのか。そうでなければ都教委を批判する意見が出るわけがない。

903  土肥校長に頑張ってほしい。

904  言っても無駄であるという無力感を我々教職員が持つようになった。どんなに発言しようとも、校長の裁量、というより都教委の考え、方針で片付けられてしまうからです。

905  委員会が多くて会議がたくさんあり、そこで(一部の人で)決まったことが全体の意見のようになってしまっていると思う。

906  校長の方針に反対する発言をしたら、自己申告書の評価が下がってました。

907  都教委の「適正化について」の調査のまとめを、以前HPで読みました。上記の点のみならず、問題点が多く、また現場の教職員との意識のずれは著しいものです。都教委が某校長を始めとする様々な批判に答えないための、単なる資料集めだと思っています。

908  職員間のコミュニケーションのみならず、組織の人間関係もぎくしゃくし、業務全体が円滑にいかなくなったように感じる。

909  言論の自由はありません。だから生徒にも言論の自由は認めません。

910  発言の回数がどうこうというより、何か言っても、もう決定してるんでしょという空気が職場に多い。

911  発言の激減、言っても仕方ないという空気、本校でも確実に変化しました。数年前、異動した頃は、かなり活発に意見が出ていましたので。そして自分自身も発言しなくなったと実感しています。

912  どうせ無駄だと思うことがあります。その結果、発言しないことがあります(私だけかしら)。

913  個々の教員が責任をおわなくなる。(どうでもよいという雰囲気が充満している)。教員が考えなくなる(挙手をしないとどうでもよい。管理職が決めればよいという感じである)。 特に若い世代の方がそうなり、これではいけないと強く感じます。

914  上記(注:校長アンケート)の通り、「いいえ」の回答は88%をしめているから「適正な学校運営がなされている」という報告は、一般教職員の実感からかけ離れています。一般教職員や保護者(あるいは世間一般の人々)の声を聞くよう働きかけを強めていくことに賛成です。学校にとって、本当に必要なことに対し、自由に意見を言い、挙手で意志表示できない現状は、教育にとって不幸というしかありません。

915  何を言ってもすべて校長が決めると考えたとき、意見を言う気がまったくない。校長が人の意見を聞いて考え、決定するのでなく、ただ言わせておいて、自分の考えで決定するというシステムでは意見が出るわけがない。

916  民主主義は時間がかかると思っている。昔の職員会議は意見の対立など含め、膨大な時間がかかっていて、時としてうんざりもしたが、そのやりとりの中で学校運営にたずさわっている感があったり、方向性が正義の方向へ向いていたと思っている。いまは押さえつけられ、目の前のことをやっているだけになりつつある。

917  自由な論議ができなくなった。管理職からの一方的な決定がなされる場となってしまった。学校や生徒のために努力する気持が減った。

918  土肥校長のTV出演等の影響でこの問題が大きく取り上げられ、とてもうれしく思っています。是非この問題にプラスしていまだに入学式・卒業式時のみ校長から各自手渡される「職務命令書」(逆らったら処分するぞ!)についても話題にして頂けると有難いです。教育現場に「命令書」はそぐわないです。専制が生徒に「納得しなくてもとにかく従え!」なんていうありえない指導を、校長が私たちにしているのです。

919  誰が聞いても、恣意的な都教委の調査方法とその結果である。それを無批判に報道するだけの新聞、マスコミには「ジャーナリズム」のにおいさえしない。

920  職員会議での校長・副校長・経営企画室・中等副校長等の報告時間がどんどん長くなっている。無気力感が漂っており、本気で発言する気になれない。

921  自由に発言するという、教育の場において最も大切なことを、力によって制限した結果は近い将来、教育現場における人間形成という、根底の部分で大変大きな悪影響を及ぼすことはまちがいないと考える。結果は職員から生徒の人間性として現れることだろう。

922  教職員のやる気がずい分そがれたと思う。発言しても、すでに事前の企画調整会議や校長の腹づもりひとつで、職員会議などが決まってしまう雰囲気が多々あると感じている。

923  教職員の階層化、職務評価、管理職の質の低下、日の丸君が代の強制、労働組合の弱体化、ムダな仕事の増加等々、様々な締め付けの中で自由な議論ができなくなってきた。あの通知がとどめを刺した。上に気に入られようとする発言は増えている。上からの評価が生涯収入を大きく左右するようになっている。

924  言論の自由を生徒に教えるべき学校で、教職員の発言が抑圧されたり監視される現状は歪んでいると思います。

925  言論の自由がないとは思わないが、発言しても仕方がないという雰囲気は強くなったと感じる。議論しても校長が自分の責任でやるということなのだから、活力がなくなるのは当然である。

926  通知が出てから教員のモチベーションに悪影響を及ぼしている。学校の教育力が低下しているのではないか。すぐにでも通知を撤回すべきである。「保護者&市民の会」の皆様のご尽力に感謝いたします。

927  教員の間に無力感が広がり、何事も上からやらされている、という雰囲気が強くなったことは確かだと思います。

928  校長も職員の意向をハアクするために採決は必要だと思っているが、しばられていると思う。言論の自由が大きく後退したとは思わないが、忙しいせいもあり、職員自身が職員会議を早く終わらせたいという雰囲気があり、全体に低調になった点は明らかだ。

929  全体的に流れ作業的に会議が進んでしまっている。一部で決まり、全体はそれに従うだけという空気がある。

930  以前は意見を言うことで、学ぶことも多く、人の意見を聞くことで様々な視点を学べたが、今は空回りで単に邪魔をしているだけになるので何も言わない。言ってもムダ。本当に良くない。都教委の恐れていることが全く理解できない。

931  教育の国家統制復活!! 民主的教育は消えた! ← 若い教員たちが自然とこの体制を受けいれている事に恐怖すら感じる。

932  2007年に採用されたので、現在の状況と以前の状況を比較することができません。しかし私のいる学校では職員会議がなく、自分の意見を発表することはもちろん、全体の意見をきく場も無い状態です。月に1〜2回の連絡会というものはありますが、1つの問題についてじっくり議論をする時間はありません。

933  現在の勤務校では、職員連絡会ということで、会議すら行なわれません。原則、管理職や企画調整会議でのことを共有するだけです。適正な学校運営は考えられません。

934  都教委は管理職に、匿名で回答させたのでしょうか。誰の回答かわかってしまうような調査では、本当の答えが出るはずがありません。命綱を握られている相手に逆らえませんよね。

935  例えば、学校行事等で勤務時間外の係分担を決める時にも、職員会議で採決できないのは、労働基準法に違反するのではないか。

936  88%の校長、副校長が本当に「建設的意見が出されている」と思っているのなら、あまりにも「建設的」の意味が違うところにいらっしゃるのだなあと思うしかない。

 
「土肥校長とともに学校に言論の自由をもとめる」保護者&市民の会  http://blog.goo.ne.jp/ganbaredohi/