問 1.2006年の通知以降、あなたの学校で職員会議等での教員の発言数は

問 2.通知以降、職員会議などであなた自身は自由に発言しにくくなったと思いますか。

問 3.通知以降、教員の言論の自由に悪影響がありましたか?

問 4.教育的観点から見て、あの通知の果たした役割は?

減った

変わらない

増えた

思う

思わない

ある

分からない

ない

有害である

教育的

でない

多少役にたつ

有益である

1,537

143

9

1,354

328

1,409

234

58

1,286

364

22

12

91%

8%

0.5%

80%

20%

83%

14%

3.4%

76%

22%

1.3%

0.7%

(注)無回答項や複数回答が若干あるので、各問毎に回答総数を母数として%計算している。

私たち「土肥校長とともに学校の言論の自由をもとめる」保護者&市民の会は、200812月、都立学校教職員に下記のアンケートを行いました。上表が回答の集計結果です。問1では9割の人が職員の発言数が減少した、問2では8割の人が発言しにくくなったと回答しています。「変わらない」「そう思わない」と回答した人のコメントを読むと、無力感にとらわれつつも「言うべきことは言わざるを得ない」との観点からの回答であることがうかがえます

 


学校の言論の自由についての アンケート (用紙)

         「土肥校長とともに学校の言論の自由をもとめる」保護者&市民の会

11月13日の東京都教育委員会において、都教委が「学校経営の適正化について」校長・副校長を対象に調査した結果、「規則改正や適正化通知により、職員が意見を言っても仕方がないという雰囲気になり発言をしなくなったのか」という質問に対して「いいえ」という回答が88%を占め、結果として「ほとんどの学校で建設的意見が出され、適正な学校経営がなされている」と報告しました。

これは1.一般の教職員の実感からかけはなれていること、2.学校管理職のみを対象とした調査で、この結果によって適正な学校経営がなされていると結論づけるのは片手落ちであることとの理由から、私たちは独自の調査をすることといたしました。組合の加入、非加入を問わず、多くの教員の方々にご協力をいただきたくお願い申し上げます。調査の結果につきましては、記者会見などを通じて発表の予定です。(締め切り 2008年12月末日)     該当するものに○をおつけください。

問 1.2006年の「学校経営の適正化」についての通知(職員会議での挙手・採決禁止を含む)以降、あなたの学校で職員会議等での教員の発言数は

     1.増えたと思う       2.減ったと思う      3.変わらない  

問 2.通知以降、職員会議などであなた自身は自由に発言しにくくなったと思いますか。

1.思う    2.思わない

3.通知以降、教員の言論の自由に悪影響がありましたか?

   1.ある   2.ない   3.わからない

4.教育的観点から見て、あの通知の果たした役割は?

    1.有益である 2.多少役に立つ 3.あまり教育的といえない 4.有害である

以上


アンケートへ多くの方がコメント記入をされました。個人へのメッセージを除き、原則として原文のまま掲載しています。
(ブログでも公開しており反響を呼んでいます http://date369g.blog54.fc2.com/

1  発言しにくくなったかは何とも言えない。私自身は運営の最終決定権は校長が持つべきだと考えている。しかし、挙手・採決の禁止は全く理解できない。討論等で諸問題を論議して教員の意見等を汲み上げ、全体の意識を向上させているのに挙手・採決は有効な手段であって、これの結果に校長が縛られる必要はなく、何故このような愚かな通知を出すのかお役人の気が知れない。

2  言論の自由についてはよくわからないが、少なくともいえることは仕事の効率が悪くなった事と職員間の連絡が悪くなり、チームプレーが出来なくなったことである。また学校の運営が、管理職の能力に左右される割に保身に走り責任を回避する傾向が強くなってきた気がする。経営能力に乏しい校長が着任した場合は、学校に危機を及ぼすことになるが、現行のシステムでは防ぐ方法はない。

3  初めから結論があり、「校長が決めなくてはならない」という縛りを感じます。管理職も学校を守るために意見を聞かない形をとっています。そうでないと罰せられるのです。言葉尻をとらえて、リベラルな部下から慕われる校長をつぶさないでもらいたいと思います。ほとんどの教員は生徒が好きで、寸暇を惜しんで仕事をしているのに、信用されず悲しく思います。

4  職員会議で発言することに関しては今も昔も自分の良心・良識にのみ従って発言することにしているので、「自由に発言しにくくなった」訳ではないが、今は一人一人が発言することの値打・価値(大事さ)が失われてしまった、と思う。「発言しても所詮何もかわらないだろうなあ」とむなしさを覚えることが多い。

 学校としての最終的な決定は校長が自身の名において行われる、というのは今も四半世紀前も何ら変わらない。違いは以前は学校現場の現実に基づいてなされていた決定が、今は現場の実態に目をつむって、都教委の思惑に沿った形でしかなしえなくなった点である。

5  発言はできなくはないが、言っても素通り、ムダ、という感じがしている。自分の意見を言ってもムダなら、もう考えるのがいやになる。現場にとって最悪の状態である。

6  自分が決定に関与していれば、賛成、反対にかかわらず実施に責任を負うことになる。「通知」以降、一般教員は決定から疎外されている。他人が勝手に決めたことだからということで、自分の意見と異なることについて、熱意を持てなくなっている自分の退廃がこわい。

7  発言を全く許さないということはない。そういう意味では言論の自由を奪ったとは言えないかもしれないが、発言する意欲を失わせるには充分である。(教職員歴26年目)

8  民主主義を最も体現しなければならない学校教育の現場で、挙手を禁じるなど嘆かわしいというしかない。

9  いわゆる「適正化」通知以降、明らかに職員会議における発言は減少した。どう発言したところで、所詮管理職の思惑通り、都教委の意図通りにしか動かないのだろうという思いが--というより、現実が私たち教員の士気を落とし、発言の意欲を喪わせているのだ。学校によっては「物言えば唇寒し」という状況もあるだろう。

10  教職員集団としての民主主義がないのに、生徒にそれを教えることなどできない。

11  何を発言しても仕方ないという雰囲気が蔓延している。職場全体の志気が低下。50人程度の少数の職場で自分が全体の方針決定に何ら影響力を持ち得ないのでは勤労意欲も沸かない。

12  「挙手禁止」などの都教委の支えがなければ、校長がリーダーシップを発揮し得ないというのはいかにも情けない。教員を前に堂々と自己の教育的信念を語り、説得を図ろうとする気力の知力も胆力もない人が管理職になっている現実は寂し過ぎる。都教委がやったことは結果として学校の教育力の低下を招いていると思います。

13  教壇が、自由に発言できない環境にあって、生徒達に、自由な発想を持たせ、伸び伸びと発言させる教育ができるであろうか?教育の世界で、現在の状況は異常である。子供達、社会、そして、日本の先は、暗くて、恐ろしい、と感じる。

14  職員会議で「先生方の言論の自由がない」ということを恥ずかしくて、情けなくて、誰にも言えない(特に生徒に)。「言っても仕方がない」「時間のむだ」と思われてしまうことは、仕事に対して無責任な人間を作ることになると思う。

15  戦前の国家主義教育に後戻りしていることに苦痛を感じます。

16  問2は、「発言しにくくなった」というより「発言しても結局は何もかわらないからいわない」という感じか。通知前は反対する意見が多くても、職員会議で徹底的に議論することで、自分たちで責任を持っていこうという感覚が誰にでもあった。現在は校長の意見と職員の方向性が全く正反対であっても、最初から結果ありきで空しさを感じることが多い。

17  戦時下で教員がしてしまった事、せざるを得なかった事を忘れてはいけないと思います。土肥校長のような方がいてくださるので、「まだまだ捨てたものではない、頑張ろう」と思います。

18  教育委員会があまりにも強大な権力を持つようになってしまった。そして現場に様々な報告書アンケートを提出させるシステムを作ってしまった。ここが一番悪い所である。今、現場で最も大きな問題は、教員が多くの書類を作成しなければならなくなった事である。おそらく事務職員と変らない位の人も多いと思う。それ故に、その分生徒とのコミュニケーション、教材準備の時間が大きく削られていることだ。今それでもますます提出書類が増えている。東京の、いや日本の教育が本当に心配だ。

19  3月までいた前任校では会議で何を言っても無駄なので、発言が激減していました。管理職や企画調整会議で決まったことは、覆ることがないので、教員の意志統一がとれない中で、取り組まざるをえない。「やらされている」意識も生まれ、職員のやる気が失われていっている。やる気があるのは管理職と主幹のみで、職場が二分されている感じ(飲み会まで二分されています)。有害以外の何ものでもない。(前任校)

20  20年以上教師をしているが、通知以前は、生徒1人1人について、学校全体のあり方について、すべて皆で、とことん議論をして決めていましたが、今はほとんど話し合いすることはありません。皆、閉塞感を感じているように思います。

21  ●教員がほとんど全く発言しなくなった。学校全体への参加意識=意欲=責任感が失われつつある。都教委の思うつぼだろうが、そのツケは生徒に行くのだ。現場は崩壊中。 ●学校が一変したことは現場の全員が知っているのに、校長の88%が「いいえ」と答えているのは、都教委の権力支配がそこまで及んでいるということで、非常に恐ろしい時代に入っているという事。

22  (問1 通知に関係なく発言は増えた。ただし特定の人) ●教員全体の意志を表明する機会がないのは問題。ただ、多数の意見のみで(そのときの教員の構成にもより)、方向性が変化するのも変な話。●かつては校長の考えを無視して数の力で、政治的な考えを教員・生徒に押しつけていたのも事実。

23  現在の都立高校には言論の自由はほとんどないと言っていいと思います。校長の意見に反対する意見を言うと戦力外通告されて、無理に転勤させられる恐れがあるような状況で、しかも成績評価を低くされるかもしれないと思えばだれも本当に思っていることなど言えません。たとえ意見を言っても最終的にはすべて管理職が決める、意見はただ聞いておくだけでは話す気になれません。

24  今の体制を進めていて、教育が活性化していくとはだれも思ってはいないでしょう。一人一人の教師はこれ(通知)によって意見が言いにくいと感じるのはそれだけで敗北と考えます。一人一人がきちんと意志表示をし続けることがこれらを形骸化していくと考えます。今こそ自らの手に教育をとりもどすために一人一人ががんばらねば。

25  人格的に優れた管理職が権限を持つのは悪いことではないかもしれない。しかし今の都教委のやり方では、その、権限を持たされた管理職が上ばかり見ていて、教職員や、何よりも生徒の利益を代弁しようとする姿勢がなくなって(あるいは減って)いる。東京がこれでは、日本の教育がよくなるわけがない。

26  どんなに良識のある管理職でも一人一人の教員の考え、意見を直接聞かなければ正しい判断をとりにくいはずです。生徒にとってどの先生も等しい「格」でなければ教育は成り立ちません。どの先生も直接自由に意見をぶつける場があってベテランは気づき、若手は学び、学校の組織的教育力は高まると思います。

27  (問1と問2について”発言しにくくなったからこそ、発言する勇気をもたなくてはならないと思う”)生徒は教員を見て育つ。私たち教員が、自分の正しいと思った意見を述べることができず、行動をとることができないならば、生徒は自らの意見を持って行動する人間にはなれない。流される人間になってゆくであろう。

28  多数決が万能とは思いませんが、挙手しなくなったことで「自分ならばどう判断するか」という緊張感、責任感がなくなりました。「お任せ」気分になるということで、これは学校現場にとって本当にマイナスです。

29  発言しにくくなったというより発言することに意義が感じられなくなりました。通知と人事考課と主幹制度(及びこれから導入される主任教諭制度)すべてがセットで、教職員から働く意欲を奪っています。我々が意欲を失うということは子どもたちに希望や努力を信じなさいと言えないということです。現場では“ミニ役人化”していかないと、とても正気を保てません。どうしたらよいのでしょう。

30  ・民主主義を教えるはずの学校現場で、その根幹とも言える多数決を形の上からも否定するのは、信じられない政策だと思う。 ・校長にはすでに管理、運営権がある。教職員の多数決を参考に適切な学校運営を計るのが、本来のあるべき姿のはず。

31  一人の生徒を多くの教員で見て、感じる事が、その生徒の本当の姿を発見できるのでは? その事が学校として一人ひとりの生徒を正しく判断し、学校を適正化する一番大切な事では?

32  通知以降、自由に発言しにくくなったという感覚はもっていません。ただ、何を言っても結論先にありきという感じがするので、何か言って会議の時間を長びかせるより、短く終わった方がましだという感覚はあります。そういう意味では言論の自由が阻害されているのかもしれませんね。職員会議ではない研修会の場などで生徒指導についての意見は活発に交わされます。このことを考えると私と同じような感覚を持っている人は多いのではないでしょうか。あとこれから先生になる若い人に、これが会議と思わせてしまうことが残念です。

33  都教委のやっていることはどうかしています。我々の中には何を言ってもムダという諦めが広がっており、都立高校は窒息死寸前です。教育破壊は石原知事によって強引におし進められました。土肥さんのような校長が他にいない現状が悲しいです。

34  会議ではなく単なる伝達である。時間の無駄。伝達だけならプリントで十分。特に問題なのは横のつながりを切られてしまったこと。平の教員同士が意見交換できないので、仕事がまともにはかどらない。

35  全体として発言する人が限られているので活気がない。皆で良い学校をつくろうと思ったら、様々な意見が出てあたり前で、教員こそ意見をたたかわせて違う意見も認めていく姿勢が求められるのではないか。答えの出ない課題が多い学校こそ、議論が重要。校長が決定するのはあたり前としても、多数決をとってそれをくつがえす決定をするのであれば、その覚悟と決意を教員にきちんと話して決定すればよいと思う。決をとると一人一人の教員も責任が生まれて緊張感が出ると思う。

36  通知文の内容は「教員の意見」を形で出しにくくなったという点で少々疑問はありますが、それによって会議に対して消極的になったということはないと思います。

37  生徒のために自由闊達に職員会議で議論する都立高校を経験してきているので、この議論の停滞した状況は、生徒にとって有害であると強く感じる。

38  間違いなく発言し難くさは増加しており、反対意見を言う方は05%位と思われる。逆に意見を言う教諭は、企画運営や代表者会議その他で、管理職の意向を汲み、彼らに反する主旨の発言はない。

教諭自身の人心が保身に完全に移行してしまった。1020年前までは子供のことや職場のことなど情熱的に論争した人が、現在は「都」が打ち出す役職選考に進んで申し出ており、今回の「主任選考」については給与がらみで、ほぼ全員がそれになびいている。都教育界はもはや一方的な流れを勝ち得ており、教諭は仕事での教育という合法的な壁の中に退いてしまっている。中立・リベラルを欠いたアメリカ正義を礼賛する日本教育が進んでいると思う。

39  全員の意志を確認した上で、一致団結して問題に対処すべき場面は、あるはず。全面的な採決禁止はおかしい。

40  自由闊達に意見を言える職場でなければ良い教育ができるはずがない。

41  職員が自由な意見を述べる機会がなくなり、管理職との意思が全く図られなくなってしまった。その結果校務運営がスムーズに行なわれなくなってしまったのは残念である。

42  その通知以前に、業績評価が入った時から、自由にものが言えなくなっています。今後さらに評価が給料に反映し、身分につながっていきます。みんな同じ立場で学校のことを考えるという気持ちは失われ、上にどう評価されるか、ということが仕事をする基準となっていくでしょう。

43  反対の意見や、異なる見解を発言する教員が年度末に業績評価で「C」となることが多い。その事実を知ることで、会議の場で、発言するのはやめておこうという空気になる。「誰かが言ってくれればいいのに」と思いながら、自分は何も言わないという姿勢の人が増えていると思う。

44  一昔前の封建時代か、独裁者の国へ来たようです。こんなことが現実になるなんて悪夢です!!

45  (問4については)両面ある。

46  直接生徒に関わる先生が会議で挙手ができないのはおかしい。その会議での話し合いをうけて校長が最終的な判断をすればよいはず。採決禁止などはあきらかにやりすぎ。

47  「職員が意見を言っても仕方がない」という空気そのものです。さらに人事考課制度のせいで、言論の自由は全くなくなった。なんでもかんでも校長のいいなりになってしまった。悪いことまで。

48  職場がとても暗い雰囲気が悪くなってきた

49  業績評価も含め、管理職に対し、自らの意見をぶつけることが難しくなっている。だからといって管理職に迎合することはできない。とすれば沈黙・・・が増えるのは必然である。

50  職員会議での話し合いで物事を進めることがなくなったため「意見を言ってもしょうがない」→「言わない」→物を考えない→上からのことに心から同意しているわけではない→指導に熱が入らない⇒全てが書類のためだけの動きに学校がなってしまっている。残念である。

51  「学校の役割は何か?」という問いに対しての答えが「人を育てること」であるとするならば、学校は人を育てる上で悩み苦しまなければならない。子育てにおいてすべての親が悩み苦しむのと同じように、学校もまたその時々の状況において悩まなければならない。悩みは上位下達で解決されるものではなく、時間をかけ、考えを巡らせ答えを出さなければならない。学校が効率よく社会に求められる人間を育て上げようとしている「だけ」の存在ならいざ知らず・・・。学校の長たる校長が神ごときの人格者であるならばいざ知らず・・。

52  皆でじっくり話し合って学校のことを決めていくということがほとんどなくなっている。独断専行型の教員が勝手に校長と話をつけて進めてしまうことも多くなった。大切なことが、いつの間にか決められ行われていて教員同士わけがわからず混乱することが多い。6年で必異動となったことで、学校のことをいろいろ知っている者がほとんどいなくなり混乱に拍車をかけている。

 職員会議での挙手採決禁止に伴い、校長は日ごろから教職員の考えをくみ取る努力をいっそう行うよう指導されたはずだが、実際は逆で、発言力の大きな者の意見に単純に乗ることが多くなっている。校長がいかに学校の実態をわかっていないかは、今回の調査に「いいえ」と答えた校長が88パーセントという結果を見ても明らかである。教職員が理解し合い意思統一をもって学校を運営していけない現状は生徒にとって不幸なことだと憂慮している。

53  本校では、まったく発言が許されておらず、質問のみです。学校運営については、一般教員は、ただ従うしかありません。トップダウンの典型的弊害があります。なるべく情報を隠蔽し、上まで伝わらないようになっています。いいアイディアや独創的な意見を持つ教員は、黙って命令されたことだけを、充分に理解もせず納得できず従っているだけです。校長に直接意見を言うことはできません。(質問も)かならず主任を通してからです。生徒も同様です。この手順をとらないと、ひどく叱責されます。

54  自由な意見を述べる場所が保障されず、議論にならない。意見はあくまでも意見として挙げればいいではないか(仕方ないが)と思うが、それすらもできない。

55  大人社会を正さねば生徒にも悪影響を及ぼすのは当然のことと感じられる。

56  私は52歳で25年以上職員会議を経験してきましたが、これほど「現場(教師と生徒)」の声が通らない会議を経験するのは始めてです。主人公、主役は校長と都教委の発言意思であり、生徒ではなくなりました。教育現場は生徒の変化をすばやく捉え対応し、さらなる変化へと導き成長させることが第一と思ってきましたが、「現場」が消えました。生徒を主役とするのが教育だったはずですが、「教育」はなくなり、「経営」がばけもののようにのさばっています。始めは反対の意見等を言ったり、経験を生かしてもらおうと現場での体験を話したりしましたが、何を言っても答弁のための発言が返ってくるだけで、一緒に現場を変えていこうという気は生まれなくなりました。あるのは「対立」だけ。管理職とは敵対する関係になってしまいました。会議ばかりか日常でも口をききたくありませんし、まして酒を飲んでなどという日常の人間関係はなくなりました。ほんの少し前まで、校長は若い教員の嫁さんや婿さんを探してくれたり、現場には温かい雰囲気があったのですが、残念ですね。気の弱い心ある教員は現場から背を向け始めています。子どもにとっては危機です。

 私は息子を都立高校へは絶対にいれたくはありません。私立を目指して勉強させています。まじめで子どもと向き合う教員が浮かばれない社会に大切なわが子を入れるわけにはいきません。そう覚悟しました。そのくらいひどいものになっています。想像以上に私たちの心は傷ついています。えっ?うそでしょ? そう思ってもらえることがどんなにうれしいことか。それほどにひどいものです。このような調査がどれだけ私たちに勇気を与えてくださるか はかりしれないものがあります。心から感謝申し上げます。

57  都教委の実施した「学校経営の適正化について」における校長・副校長に対する調査は、多くの人がYESとしか回答できない立場の人を調査対象者としており、科学的方法とは言えない。このような調査結果を公式のWEBサイト上にのせるのは適切ではない。◎科学的方法について非常に無知であり、恥知らずである。

58  石原都政下に教育はない。教員の意欲がこれほど下がっている現状を保護者にも知ってほしい。10年前はどの都立にも10年以上勤務する教員がどこにもいたものです。学校はその先生方が支えていたのです。

59  現在よりも、数年先が心配。

60  職員会議の性格が本質的に変わった。企画調整会議が実動化し、職員会議は副校長が毎回言うように連絡会化しつつある。職員会議は自由な意見交換の場で、他の人の意見を聞くことが何よりの研修になっていた。それが今は全く失われてしまった。

61  昔は時間をかけて議論を重ねて来た。そうした過程を通じて、学校組織が活性化し、教職員一人一人にとっても勉強になった。私自身にとっても幅広い意見、柔軟な思考を養う上でも良い研修の機会だった。正直、白け、お任せ主義に陥っている。勿論現状下で精一杯仕事し、論議を重ねたいが、つくづく都の施策には怒りと共に空しさを覚える。今回の管理職だけのヒアリングは単なる茶番、アリバイ。土肥校長の勇気ある闘いにはエールを送りたい。

62  発言しにくくなったと言うよりも、発言しても何も変わらないという雰囲気になり、発言が少なくなったように思う。

63  昨年度は職員会議の回数が半減されました(校長が替わり、今年度は2/3に復活)。しかも職員会議での発言が極端に減少しました(その原因は、前校長が、意見を言う教員を学年担任途中であろうと強制的に異動させたからでもあります)。私は、意見を言う方であろうが、その結果、昨年度の業績評価による人事考課はCでした(開示請求で、管理職から聞いたCの理由は、校長の意に反する意見を言ったこと(行動をとったわけではありません)でした)。自由に意見を言えば、評価がCになる、これでは言論の自由が制約されていると言わざるを得ないでしょう。前校長は、学校経営のために色々な人の意見は聞きたかったのだと思います。私に「意見があれば、直接、私に言ってください。」と言いました。私は「意見があれば、職員会議で言います。」と切り返しておきました。職員会議での広く深い論議、それ自体が教員の大切な研修の場でもあります。職員会議での自由な討論によりお互いが切磋琢磨していくことは大切なことでした。現状は、切磋琢磨していくべき教員集団の破壊、であります。

64  職員会議の意味がない。教員間の意見・発言の場が極端に減ったため、お互いを詮索するようになる面も出て、学校運営に支障をきたしている。管理職ももっと身近に感じていたが今はちっとも理解してくれていないし、聞く態度も見られず、どう運営すると言うのだろうか。

65  自由にものが言えない職場は教育界には全く不適切である。時代と逆行している恐ろしさを痛感している。

66  「学校経営の適正化」以降、管理職を中心とする一部の教職員が学校内のことを決め、「ひら」の我々は共通理解もないまま、ただそれに従っていくという方向にあきらかに変化した。少なくとも私はそうです。

67  採決をしないこと、職員会議に決定権がなくなったことで広い意見、有益な議論が少なくなった。決定機関である企画調整会議では「上意下達」の役割の方が多く、本来の教育的な議論に基づく「原案」→「決定」ができていないのが現実である。

68  是非、是非、世間に向けてこの現状をアピールしてほしいです。窒息しそうな閉塞感が学校を包んでいます。学校が病んでいます。助けてほしいです。

69  都立高校の管理職は教育委員会の言うことをきく人ばかりになっています。子どもたちの方に目を向けた教育をしっかりと実践していきたいと思っています。

70  本校は以前から活発な議論がある方ではなかった。(かといって「封殺されている」というわけではなかったと思う)穏やかに結論が形成されてくるといった流れがあった。「通知」を境にというより、職員会議が決定機関からはずされて依頼、徐々に「空しさ」が広がっているように思う。今は「かつて」の流れを知る教員が誇りをもって支えているように思うが、それを知らない若手が増えていくと5年後、10年後には「作業層」の分離が進み、学校は教育力を失うのではないか。

71  何をするにも管理職と一部の職員で決定され、発言を封じる通知は混乱の元凶となっている現状をみれば、都が目指す都民の信頼に応えるという目標はあまりにも現実離れしていると思う。

72  (問2 発言しにくくなったと思わない)けれども、言ってもムダと思うことが多くなった。

73  2006年4月からの初任者なので、比較することができません。申し訳ありません。(設問には無回答)

74  公平さを教える学校で、我々こそが最も不公平だ。

75  教員の中に民主主義がないのに、どうやって生徒に民主主義を教えるのか、という問題を感じます。生徒にあてはめれば文化祭の出しものも校長が決めたものをわりあてられてやる・・・というような状況。将来子供達の毎日がそうならない・・・という保障はないことを市民の皆さんに知ってほしい。

76  職員会議での議論や多数意見は十分に尊重されるべきものだと思う。職員会議の具体的な議事の進め方にまで「通知」で束縛を与えようとするのは大変に非民主的で有害なことだと感じる。(職員会議の発言数は2006年以前にすでに減っていた)

77  思想統制や検閲、全体主義とか北朝鮮とかに対して、より理解を深められるようになった。

78  職員会議で、企画会議で決まったことや管理職の意向に反対する意見を述べると、後で呼び出されて指導を受けている姿を見かける。

79  企画調整会議で通ったものであれば、何でもOKという風潮になった。職員会議の回数も減り、会議も淡々と流れ、明らかに発言が少なくなった。発言しても管理職の意図と反するものは、流され、はねのけられてしまう。(言ってもムダというあきらめ。)これで本当に適正な運営なのか疑問と同時に、大きな不安を感じる。

80  管理職の一方的な学校経営が、教職員のやる気を失わせている。学校改悪で都立教育が壊れかけていても、管理職や都教委の圧力で学校独自の運営や教職員の意見が反映されていない。この様な現状でも、今の経済状態からは都立高人気を都教委は勘違いで評価し、改悪状態で一方的な圧力をかけてくると考えると、いずれ都立教育は崩壊し低迷期を迎えることだろう。

81  はっきり言って職員会議で発言する気はなくなった。自分が議論に参加しているという感じはない。すでに決まっていることの報告会にすぎない。

82  実際に生徒に対面している一人一人の教員の創意工夫がなければ、教育はなりたたない。そのためには自由な発言、互いの自由な批判が不可欠。そうした自由な雰囲気が生徒のための学校を作り出す。都教委の「学校経営の適正化」は為政者本位のものであり、学校を殺す。経営という言葉が象徴しています。

83  「自由に発言」と言っても声の大きい人の意見ばかりが通ることもあり、両面見ないといけないと思うが、教員がものが言えなくなれば、ものを言える子供が育つわけがなく、長い目で見たら国益にならないでしょう。

84  発言しても意味がないと感じることが多い。挙手採決を禁止する意味がわからない。挙手採決は民主的な意思表明の基本的な方法の第一歩であると思うため、一般教員の意見を封じ込めるようなやり方は民主主義を否定するものであり、極めて有害である。教育の現場は命令で動くのではなく、自主的自発的に協力しあって運営していくべきものであるから、言論の自由は最も大切なものである。

85  生徒の主体的思考の力を育てるためには、教員の主体的な思考、主体的な教育活動、主体的な実践が不可欠。ものを考える教員を育てなければ生徒の人格の完成を目指した教育はできない。

86  日本は民主主義の国であり、民主主義の根本原理である多数決が出来ないというのはおかしな話である。もちろん少数意見の尊重をふまえるべきだし、管理職によるリーダーシップも大事であるとは思うが、結局管理職が決めたことに「右へならえ」せざるを得ないならば、意見を言ってもムダという雰囲気がある。たとえば、HR担任として文化祭の出し物などを決める際に、担任が決めますか?生徒達による話し合いの後多数決で決めませんか?それが当たり前のことだと思いますが。

87  発言しても最終的には管理職の意向に沿った形にしかならず、場合によっては発言内容が査定の対象となっていると感じるケースもあり、徒労感が積み重なっていく。仕事としても“やりがい”は失われているが、子を持つ親としてこんな東京では教育を受けさせたくないと感じます。

88  管理職が職員の意見を吸収する装置を機能させていない場合、職員には無力感のみが広がる結果となる。職員のモチベーションの低下は長期的な学校教育の質の低下に直結する。

89  職会が短くなった。それを「良いこと」のように思ってしまうところに本当のこわさがある。

90  言論統制そのもの。上に立つ人間が常に正しいとは限らないのに、非常に危険である。民主主義の死につながる。

91  「発言しにくくなった」というより「発言する気にならなくなった」という方が近い

92  前の職場では「職員会議は無くす」「教員は発言するな」とまで言われた。現場では「あり得ない」空気に満ちあふれている。教育に自由が無くなってきてきる。危機的状況である。

93  「言論の自由」について子供たちに教えるべき学校現場でまさに「言論の自由」が奪われているというこの現実!! 都民そして国民の皆さんに知っていただきたい事態です。

94  民主主義社会では多数決が基本です(ファシズムではないので)。教員になりたての頃、採決で挙手した時の喜び(自分の1票が学校を左右している)は今でも覚えています。今では何を言ったって結局、校長が決めるんでしょというあきらめのムードが会議全体に流れています。

95  「そういう決りになっています」という言の下、議論が打ち切られることが重なり、言ってもムダ的な雰囲気が蔓延し、自由な、創造的、啓蒙的議論が激減しています。教員が機械のパーツの様になっていく気がして恐しいです。

96  校長へのプレッシャーが大きくなり、大変なのではないかと思う。学校運営も教員の意見なしには、成り立たないと思う。

97  一人一人の教員が学校運営に参画しているという意識が明らかに後退している。何を言ってもムダ、言いたいことが言えなくて「言論統制」みたいです。

98  「言っても無駄」になってしまった。今後若い人達の職場になっていくと それが当たり前で、従順な教員ばかりになってしまうのではないかと、危惧している。生徒と日々接している教員の意見より管理職の志向が重要になっている中で教育の質が低下している。管理職対象のアンケート結果には、本当に呆れてしまいます。

99  自分達の自身で決定できない会議に誰が期待できよう。出なくてもいい、出ても意味がないと考えるようになっても不思議ではない。これは何につながるか。学校教育の死滅です。

100  土肥校長は正しい。公開討論に応じないのは都教委にとって都合が悪いからであり、ましてや守秘義務がどうのと言い出すのは論外である。都教委の悪行が世間に知られては困るからというだけであり、怒りがこみ上げてくる。しかも都教委に都合の良い結果を出すために校長に調査を出すというのだから救いようがない。都教委は教員採用試験の結果を事前に都議に知らせていたではないか。ましてや「これからはそういう事のないようにする」の一言で終わらせるとは何事か。それこそ守秘義務違反であり、処分して当然のことがなされていない。都教委のやっていることは「学校運営の”不適正化”」である。歴史は繰り返すというが、都教委は水戸黄門に登場する悪代官そっくりである。都教委の悪事の数々を正すよう土肥校長を応援する。

101  都立高校の非常に、危険な状況(『言ってもしょうがない』etc)を生み出していると思う。言論の自由は民主主義の根幹をなしているので、不断に戦って勝ち取っていくものと考える。

102  「意見を述べてもしかたがない。最初から結論はあるんでしょう。」というような気分になり、黙っていることが、自分も周囲も多くなった。このアンケートに回答できるだけでも言論の自由があるのかもしれない。職員会議の時間が短くなった。

103  意思表明や発言を直接封じているわけではないが、現場では「何を言ってもムダ」「言っても仕方ない」という雰囲気が年々強まっている。それが「仕事をやらされている」感覚につながり、学校の中によどんだ空気が満ちている。真剣に生徒と向き合うという、教育で最も大切なことがじわじわと失われている。この現状を都民は知っているのだろうか?

104  職員の意思が反映しない職場は方向性が見えないというか、偏った教育現場になる恐れが高い。戦前のあやまちをくり返すのかな・・・!?

105  私のように話が下手な者は会議の場において挙手することで自分の意思を表明できたのに、それさえ奪われてしまった。自分達で決めたことならば精一杯努めようとは思うけれど、“一方的におしつけられる仕事”では勤労意欲などわくはずもない。

106  学校という現場でいろいろな意見を言う場が少なくなるのは問題。親方様の意見が全て正しいのなら問題はないが、裸の王様になってしまう。そのような企業がいくつも失敗をしている現実を知るべき。

107  どうせ発言をしても無駄だろうという無気力感が蔓延するようになったと感じられる。発言する事自体が禁じられている訳ではないが、特にはじめから結論がありきというような場合には真面目に考えれば考えるほど、発言する意欲が萎えてしまうのは仕方がないのではないかと思う。

108  学校長に反対意見を言ったことで、次年度構想外通告を受け、強制的に異動対象(本校在勤年目にもかかわらず)となった。

109  現在のシステムに言論の自由がない。勇気を出して意見を言っても、校長の意に添わぬ内容のことを言えば、後から「望まぬ異動をするぞ」と脅される。こんな状態で子どもを正しい方向に導けるとは思えない。管理職は当然立場上、「適切な学校経営がなされている」と答えざるを得ない。管理職のみを対象にしたアンケートをとれば、一方的な意見になることは当たり前、都教委は不都合なデーターが出るのを避けているのだろうが、一般の教職員からアンケートをとるべきである。

110  学校教育の根本が崩れたという感じがします。こんなことが平気でおこなわれて、それに対してどうにもできないのではないかという無力感と自身に対する自信の喪失、生徒に対する何というか、申し訳なさみたいな感情など様々な面で心理的に参っています。

111  「言論の自由」だけの問題ではなく、学校が非民主的になっている現状を知ってください。つまり学校の主人公はもはや生徒ではなく、教育委員会=知事なのです。教育委員会=知事の意向が命令として校長を経て学校を運営しています。上意下達と命令服従の学校で、生徒の自由な発想や正しい判断力が育つはずはありません。

112  たまたま自分のいる職場は会議での発言をおさえるような行為は感じませんが、成績会議や生徒指導での職員の意向を聞かないと言うのは、何よりも権利の剥奪だと思います。

113  このアンケートは意図するところが明確すぎて、誤解を与えかねないと思います。私のところは言論の自由について以前より制限された部分は小さく感じるのですが、とにかくそれらの意見を無視する校長が続きました。

114  上意下達の組織になってきて、現場の雰囲気を管理職がくみとろうとしなくなったと思う。現場の教員(下の者)も何を言ってもムダというような、閉塞感が学校を支配している。

115  職員会議でのあきらめムードはここに原因があると思う。自由に議論するムードがないし、しても仕方がないと言う雰囲気になっている。自分は意見を言うのであまり変化はないが、「少数派になっている。のか」という疑問がつねについてまわり始めた。

116  現場の意見を聞かないで、どうやって学校経営をしていくのか?ボトムアップは会社経営の常識であると思っていた。

117  現状では、大多数の教員が、学校運営に関する意思決定から疎外されていると強く感じている。教員を常に受動的な状況においておきながら、主体的に職務に取り組めというのは、根本的な矛盾である。

118  誰のための学校なのかわからなくなった。何を言っても無駄だという雰囲気が濃くなり、建設的発展的内容の意見は、全くでなくなった。上記のアンケート結果(都教委が管理職対象に行ったアンケート)と全く逆です。校長と一般教職員のズレがある学校で、まともな議論をしない:できない中で学校がよくなるはずがない。私自身、子どもを都立学校に入れたくなくなった。

119  自分が自由でなくしてどうして言論の自由を教えることができるでしょうか。

120  職会の司会は主幹がするようになり、発言するとリスクを感ずる。今回の適正化通知は都立高の自殺行為。自分の生活を守るための場所になってしまった。

121  皆で考え、決定し、皆で行動する雰囲気がなくなってきました。特に若い教員が考える事をしなくなった。責任ある挙手が職員現場に責任を持たせる。

122  民主主義の国において、生徒にも民主主義を教えなければいけないのに、学校で民主的な運営がなされない、というのは本当におかしなことだと思う。こういったことが今後どんどんいろんな所に影響していくことを危惧します。

123  教員のやる気をそぐものであり、なにを言っても無駄という雰囲気になっている。(本当はこれではいけないのですが)

124  学校は政治・イデオロギーの場ではない。生徒指導上のことも含め、校長が全部把握できるわけではないので、建設的な意見が出なくなり、学校が混乱している。

125  実質企画調整会議で学校に関する全てが決まっているので会議では意見を言っても無駄だと思い発言しなくなった。反体制な事をうっかり言っても勤務評定に影響するだけでバカバカしい。今の学校は実際に主役である生徒と接している教員に発言権がなく、生徒の生の声をほとんど聞かない人が牛耳っていて何の為の経営かと疑問である。

126  2006年の通知以前の19991月からの学校管理運営規則の改悪後、都立高校の学校運営は大きく様変わりしました。それ以前の都立高校は校長を含む全教職員の合意にもとづく運営が、不十分な面もあったが、基本的には行われていた。職員会議はその合意形成の場であった。そのため、職員会議は長時間におよぶことがしばしばあったが、文句は出なかった。みんなで学校をつくりあげている雰囲気であった。19991月以降都立高校は変った。職員会議は上からの伝達であるので、短時間で終わる。出されるものは良いものでも、職員の検討がなされていないので、良さが生かされない。

127  通知以前は、校長は職員会議で職員の意見に対してきちんと(できる限り)ご自分の考えを述べ、理由を説明し、職員を納得させようと努力していた。その過程で我々が考えを改める場面もあったし、校長が逆に我々の考えに賛同し、方針をかえた場面もあった。時間はかかったが、お互い納得した上で教育活動に専念できていたように思えます。現在は決定権が校長にあるせいか、意見を述べても返事もしない。せいぜい「ご意見としてうけたまわります」などと他人事のようなセリフを吐くのみ。それで最初の案通りにことが進んでいきます。これが毎回のようにくり返されれば、意見をいう気は起きません。「どうせ変らないから」と口をつぐみ、嫌々仕事をする始末です。

128  教員の自由な発言を妨げるような学校で、生徒に民主主義を教えられるわけがない。憲法の精神に反する。異動時にいやがらせや昇給に不利になることを避けるため、管理職に反対のことをいう教員が少なくなったことが一番の恥である。だれより管理職(特に副校長)が都やセンターや校長に対してビクビクしている。

129  実際に生徒と接している教員に発言の場がない状況でよい運営ができるとは思えない。教員の職務に対する志気が下がっているのは確実です。

130  校長は人事権を持つ、校長は業績評価を行う。自分の意にそぐわない教員を異動させる。異動や業績評価が下がるのを恐れて、職員会議では発言できない人が増えれば、それは加速化する。「一人の人間は弱い。絶大な権力(異動・業績評価等)を持つ校長に対し、意志を示す事のできる『挙手・採決』なのです」

131  東京都教育委員会は本当に、教育を良くしようと思っているのか疑問です。意図的に、何もいえない大人を作ろうとしているのではないでしょうか。教育のことを、明日の日本のことを本当に考えてくれる人たちに教育のトップに立ってほしいし、そのためだったらがんばって協力するのに・・・。

132  発言することで、逆に不利益をこうむっているのが現状です。また、生徒について一番よくわかっている教員が発言しなくなることで、一番困るのは生徒だと思います。教員の気力を失わせ、生徒に迷惑をかけてまでやる必要がわかりません。

133  何を言ってもムダで勝手に物事が決まっていく中では、「勝手にやれば」とか「自分の知ったことではない」といった気分が広がっていく。これは学校・生徒にとって大きなマイナスであると考えます。

134  多様な意見を集約し、議論の上、1つの方向を出して行くのは、学級経営上も教員にとって特に必要な能力であるが、通知以後校内に民主的な会議の場が失われ、若い教員は民主的な会議の手続自体経験することがなくなってしまった。大きな損失。

135  挙手による採決を禁じるなど、民主的な組織では全く考えられない愚かな通知だということにまだ都教委は気付かないのでしょうか。

136  以前は、自由闊達な意見交換の中で、多様な見方・考え方の存在を学習し、若い教員の成長をもたらす場となっていたのが、職員会議だった。今は発言者は減少し、固定化し、一方的価値観による画一的方向へと進もうとしていて、若い教員の幅広い成長が期待できなくなっている。それは生徒にとってもマイナスだ!大多数の若い教員は、上記のような問題の存在を意識することもないように思う。

137  意見をいう自由はある。しかし、どうせ校長が決めるのだから言うだけ疲れるとでも考えるのか発言数は減っている。一番生徒をよく知っている一般教員から建設的な発言が出にくくなっており、長期的には学校経営にマイナスの影響を及ぼす。

138  会議が「上意下達」のみの場となり、教育的見地からの議論がほとんど行われなくなってきている。教職員が考えて学校全体で教育活動にとりくんでいくという意識が薄れていると思う。会議だけでなく授業その他の活動でも、教職員は「萎縮」して新しい活動に取り組みにくい。

139  言えないのではなく、「言っても無駄」という雰囲気になった。つまり、巧妙なしめつけだと言える。

140  学校の自主性が全くなくなった。都教委から指示がでて校長がそれを受けて行動する。恐ろしい時代になったと思う。

141  民主主義を生徒に教える立場にあるのに、学校がとんでもない方向に向かってゆくのは悲しいことです。

142  以前は、自分達の話し合いの結果賛否の票が変化し、決定が変化すると思ったからこそ、勤務時間を大きくはみ出しても白熱した議論をたたかわせたし、その結果として出た結論(決定)には自分の意見とは違っていても納得して従っていた。話し合いの中で互いの認識も深まった。今はそれがない!はじめに結論ありきという中で意見を言うことに何の意味があるのか。生徒の事を中心にし、本音の議論をたたかわせるということのない学校には人間を真の意味で人間として育てていく力はない。

143  同僚がどんな考え、気持ちなのか、挙手がないとわからずに不安。(校長が自分(私)と同じ考え方の結論を出したとしても他の教職員の考えがわからないと不安になる)

144  一人一人の生徒に全ての教員が一致してあたるには、よく意見を交わし、採決するのが大切だと思う。お互いが何を考えてるかわからず、また自分が何言っても無駄という空気が広がり、やる気は失せるばかりです。

145  どうせ最後は校長がひっくり返すと思うと、言ってもムダ、時間のムダと思えてしまう。管理職は「都教委の決めたことだからどうしようもない」としか言わないし。異動や評価で常に脅かされているように感じる。そんなんで生徒に自由と責任とか、正義とか公正とか、誠実とか、求めていいのか?

146  校長は万能ではない。諸議題に対処していくために、教職員の知恵を結集していくべきときに挙手で数を出すことを禁止することは、極めてバカげている。

147  主任教諭の導入で更に自由な発言は封じられるのではないか。このように極端な管理体制にしなければ、都教委の方針が現場で貫徹できない現実こそ、都教委は直視すべきである。またこのような管理体制を取らなければ、教員を管理できない実態を、管理職は、自らの能力、見識の無さも含めて直視すべきである。

148  この通知は、非常識そのものである。都教委は非常識のかたまりのように思える。

149  以前のように学校全員(職員全員)でいろんなことを考えていくことが無くなり、「言ってもムダ」の空気が大。 本当に害しかないと思います。

150  一般教職員の発言がなくなり、生徒や、現場の実態を良く知らない人達の頭でっかちの意見だけで学校が運営されてきている。何をもって適正な学校経営と言うのかわからない。

151  「あの通知」は企画調整会議に出ている者があらゆる条件、状況を把握し、よりよい判断ができる、という「管理職・主幹万能主義」に無意識に(?)立脚しているが、決してそうではない。行事決定(原案作成)などにおいて問題は起きている。私自身は、これは、と思った事案に関して発言しているが、それによってか(?)くつがえったことがある。他にももっと意見をお持ちの方もいるはずで、そのような方々が遠慮して発言しないことでマイナス面は大きいと思う。

152  最終的には校長決裁となるのは責任の所在を明確にする上でやむをえないのかもしれませんが、教職員の意見を募る姿勢まで失われたことには強い疑問があります。現場主義からの乖離、参加意識やモチベーションの低下などは、長い目で見て弊害が大きくなると思われるので、徐々にでも是正されていくべきだと思います。

153  (設問無回答)嘱託なので職員会議等の会議に出席していないため、職場の現状は良くわかりませんが、企画調整会議が充分機能を発揮しているようで、職員会議が単なる伝達機関に成り下がっているとの話を、よく専任の方から聞いています。

154  意見の応酬の後、挙手等によって全職員の意見を集約するのは、ごく自然なこと。すべての問題について、自分の態度を明らかにしなければならない状況の下で、教員も鍛えられ、育てられて来た。それを禁止した後に来るものは、当事者意識(責任感)の薄れた「考えない」教員の増加か?それが狙いというなら、教育も学校もおしまいです。

155  かつては、教育的にどのような指導が一番望ましいのか、あるいはどんな形で指導していくことが生徒を伸ばすことになるかといった点を職員会議の場で、おおいに議論して多くの人々を納得させるものが支持されて、学校の教育活動が行なわれてきましたが、挙手・採決の禁止は、そのような議論を無意味化し、議論自体が失われてしまっていると思います。

156  3年間で異動していく管理職が、教員の意思とは異なる、生徒の実態にそぐわない経営方針を出すことが多い。最後には、「校長判断」と言って通してしまう。教員はコンセンサスのない方針に戸惑うばかりである。

157  通知以降、学校運営に関わっていると思えなくなり、自分の授業さえ良ければそれで良しと思うようになってきた。これでは学校が良くなるとは思えない。

158  (設問1〜4 無回答) 2006年の通知以前(20031023日通達の頃)から職員会議での発言に、その意義や責任を感じなくなりました。2003年は他の都立高でしたが、「どうせ最後は校長が決める」から「校長が最初から決めてる結論を言うまでの無駄な時間つぶし」と感じ、職員会議に出ることが苦になりました。職員会議で発言をしたり、あるいは発言をしなくとも採決を通して各自の考えを表明し、その結果として職員の意志を確認するという作業は、重い責任も伴いますが、一方で今後の学校の進むべき方向について真剣に考える機会を与えられたと感じています。教員として成長させられたと思うのです。  今やそんな機会は全く失われ、「すべて他人まかせ、校長まかせ」、学校運営から疎外された自分が在るだけです。このような現状が今後も続くのかと思うと、都立高はますますかつての「学校」とはほど遠い存在になっていくように感じます。

159  「通知」以前から、何をいっても無駄だという体制に東京の教育はなっていました。(20031023通達)

160  一部の主幹のみの意見で学校が運営されている。昔から「三人よれば文殊の知恵」と言ったように、多数で意見交換すればする程プランはきちんと練られるのに今ではそれができません。

161  ここまで教員が信用されていないのかと思うと情けなくなります。

162  もう本当に危なくなっている状態だと思う。臆せず意見を言う世代の教員もいなくなるだろうし・・・・

163  生徒の教育に直接たずさわっている教員の意見を封殺して、いいはずがない。

164  教職員が自分の頭で考え、同僚や管理職と討論をすることで更に自分の考えを深め、教育について挙手や採決をすることが、教育の自由を保障することだと思います。全体で確認できず校長の独断におちいる危険性があると思います。

165  同僚の教育観や本音がわからなくなり、真に大切な情報が流れなくなったため、生徒指導上の連携ミスが増え、トラブルや苦情が以前より多くなったように感じる。生徒指導は建前だけでは不可能である。 学校の主役は生徒と教員である。両者が生き生きと活動できる場所に戻してほしい。言論の自由がない立場で、生徒に言論の自由を教えることはできない。教育はタテの命令系統では動かない。それは親子間の教育を考えても当然である。誰が、自分の子供に対して、(上からの)命令を受けて、しかったり、ほめたりできるでしょうか?

166  (通知が教職員の意見を抑え込むことを目的とするだけでなく)都教委の言うことを聞く「校長作り」にこそある、ことを忘れるべきではないでしょう。

167  ●職員会議での挙手・採決禁止を厳守させて、どうして職員の考えを確認できるのでしょうか。 ●職員会議の前に主幹会議、企画調整会議で決まってしまっている、何を言っても無駄という憤りがある。全員で協力し合おうという気持ちがなくなる。

168  この通知だけの問題でなく、全体的に下の声は聞かないという空気が職場全体にある。人の話を聞いたり、調整したりすることを面倒くさいと思う人達が、この流れにどんどん乗ろうとしていることが問題だと思う。又、そういう人達がどんどんえらくなっていったら・・・と思うとおそろしい。

169  多様な考え、教員としての在り方が教育を活性化してきた。言論封殺、業績評価等の上意下達の権力構造は、学校を殺した。教育の崩壊は子供の未来を奪う大罪である。

170  不毛な意見を聞く事が減ったが、有用な議論も減った。

171  全く教育とかけはなれている。教育は集団で行なうものであり、ある問題で職員の意向を把握するのは校長にとっても必要だと思う。都教委は”挙手恐怖シンドローム”にかかっており、異常としかいいようがない。

172  問題の根本は、教職員の学校運営への参加権が制度的に(慣行としても)保障されなくなったことです。実力のある管理職は、教職員に挙手をさせても、権限を行使できるということではありません。

173  「職員会議は教職員の意見を聞く場ではない」 「管理職から伝達をするだけの場所である」と校長・副校長は職員会議の場でそう発言する。教員の意見は全く言えない。教育に良いはずはない。恐ろしい現状である。

174  2006年の通知前も、自由に発言できにくくなってきていたが、この通知で一気にその動きが加速された。現在の状況は発言しにくい、ということも問題であるが何を言ってもしょうがないという雰囲気が出来てしまっている。

175  都立高校は学校ではなくなってしまいました。上からの命令で動く戦時中のようです。生徒のために自由な発言ができるようにしなければ、また暗い過去に逆もどりです。

176  教員として、言わねばならないことは言うという姿勢は崩せないと思うが、受け取る側の態度が明らかに変化した。どの様な賛成意見、反対意見を言っても、聞くだけ、聞き流すだけという態度がありありで、管理職への信頼というものが成り立たなくなっていると思う。

177  如何に都の教育行政に理念がなく不適切なものかのあらわれでしょう。「日の丸・君が代」に代表されるような、誰が見ても非常識なものを押しつけるためには教員の意見は邪魔でしかない。職員会議で議論して、「都教委―校長」は理論的な構築は一切できません。これまで意見交換で校長がまともに答える(教育的な部分も含めて)ことができたことは一切ありませんでした。話は広がりますが、この問題は十数年前(?)の都の「あり方研」以来ずっとつづいている問題です。そのときの都教委の言い分は「職員会議で校長の考えがとおらない。職員(組合)の意見が多数決でとおってしまって問題である」というもので、一部の校長が「私の考えが職員(組合)によってつぶされる」と都教委に泣きついたからという説明でした。(私の当時の在任校の校長がそのような主旨で話しました)。当時から制度的には校長は学校の責任者であったのですから学校ごとどのような決定がなされようと校長が決定したことになっているシステムでした。校長の考え(都の考え)がおかしい(理に合わない)から話し合うと校長の論理が破綻し、職員の理解が得られなかっただけの話でした。理論が破綻したため、校長は別の決定を自らの権限でしただけです。

自らの責任を放棄して都に泣きついた校長を都は処分すべきでしたが、逆にこのような方向性を打ち出したといえます。都は自らのデタラメさを完成させるには採決禁止までもちこまなければならなかったのです。都の行政(責任は知事ですが)は「話し合う(人の意見を聞く→相手の立場を理解する→相手の立場を尊重できる)」という能力を欠いたまま突っ走ったといえます。それが子どもたちへの教育にどのような影響を及ぼすか火を見るより明らかでしょう。

178  都教委(経営支援センター)が調査しても、校長を評価しているのだから本当のことは言わないだろう。職員会議が短くなり、発言することで評価が下がると言われるし、無意味な感じがしている。たった50人の組織を自由に動かし、コントロールできない校長なら辞めさせた方がいいと、民間会社で管理職をしている父親は言っています。

179  実際に学校を動かし生徒の教育を担うのは管理職ではなく一般教員です。その一般教員の議決権が取り上げられて以来、教育の根幹が揺らいでいます。校長の指示に従う教員は、おとなしく指示に従う盲従する生徒しか育てられなくなります。

180  「みなさんが何と言おうと、私が決定します」と校長は言っていた。たとえみんなが反対しても、どうせ校長が決めるんだ、と思うと、職員会議での発言はおのずと減ってきた。従来の職員会議では、多くの教職員からさまざまな経験(過去の事例、他校での事例、生徒とのさまざまな立場でのかかわり)をもとに、多角的な視点からの意見を出し合いながら、民主的に運営されてきた。都教委が校長等におこなった今回のアンケートでは「無駄な発言が減った」とあるが、これらがけっして『無駄』であるはずなどない。日頃生徒と直接かかわっている教職員が、目の前にいる生徒にとって何がベストであるかを考え、知恵を出し合いながら審議をしていくことは極めて重要である。そして協議の上で民主的手法により合意形成をして、協力しながら生徒に接していくことは、教育現場では不可欠である。     ところが、現在では、校長ひとりの意向で決まってしまう。わずか一人の価値観・思いで決まってしまう。その内容は、いかに都教委受けするかにウェイトが置かれていたり、また校長自身の保身のための言動さえ目立つありさまである。そして、校長の意向に反すれば私たちの業績評価に影響が出かねない。このような状況下では自由に意見を述べることは困難である。   私たちは、校長の意見だから即反対というのではない。すばらしい発想や意見であれば賛同し、ともに学校の運営に協力するつもりである。しかし、近年の管理強化の状況下において、真に『能力』のある教員はほとんど管理職をめざそうとはしなくなった。『能力』のない管理職が(都教委受けするようなパフォーマンスをアピールして)増えていく中で、それをカバーするために『権力』を振りかざすようになった。これが『校長のリーダーシップ』の実態である。もちろん『能力』のある校長も一部にはいる。しかし、彼らの多くは都教委の言論統制の下で真の思いを述べることができずにいる。このような状況下で土肥校長の勇気ある行動に敬意を表し、感謝するとともに応援いたします。

181  職員会議で議論することが少なくなり、単なる報告の場になってしまった。昔は採決することで職員の意向が尊重されていたが、今では”何でも校長が決めるのだ”という印象を持たせ、やる気を失わせた。

182  まともな意見(批判力も含めて)が言えない、という教員を生徒はどう思うのかを聞きたい。

183  どうせ意見を言っても変わらないとか、校長に反対の意見を言うと特昇や異動で不利に扱われるのではという雰囲気になった。あきらめムードがただよっている。

184  職場内のようすが分からない。何を言っても無駄な気がしている。無力感。

185  反対意見を言う者を「人事構想外」として強制異動。反対意見は業績評価に即響く状況が発生。言ってもムダ。「聞いておきます」という決まり文句で何を言ってもムダ。教育的観点からみて非常識極まりない。例えば同僚会からの提案すら職員会議での採決は認めないと言うのがあったが同僚会は教職員の互助組織である。異常としか言いようがない。自分たちが積立金を払っている自分たちのみの規約改正についてですよ。[アンケート集約者注:実際は職員から批判され、さすがに「採決」はしたが「職員会議での採決」を怖れる管理職、その意を受けた司会が反射的に採決を止めた漫画的・象徴的事態と言える] 全都校長会は土肥さんを特異な存在として葬りさろうとしているが本音をいえないような校長会のあり方を含めて非常におかしい。土肥さんがんばれ。応援しますよ。会議というのは審議採決してその結果を総合的に勘案して校長が決定すればよいことで採決に何ら問題はない。採決することはおかしいということを言う教委の感覚が信じられない。

186  もとより発言することが少ないので発言の数に関してはあまり変化を感じないが、発言の質や会議に出席、参加することの意味あいが大きく変化したと思う。学校の運営に重要な決定に自らが関わっていないことから、いきおい決定内容への責任感や取り組みへの意欲が損なわれ、職員が校長の意思の実行機関になっていると思う。それが是という人もいるかもしれないが、私は否と言う。長い目で見て教員の質の低下を招くのではないだろうか。

187  言えない訳ではないが、言っても意見が結果に反映されないので発言が無意味に思えてしまう。そのうち職会という場そのものが奪われることになると危惧している。

188  教育現場で自由に物が言えない状況をうちの管理職は理解していないとしたら、物が見えないとしか言いようがない。職員会議で採決がなくなって管理職が勝手に決めることが多くなり物事がスムーズに運ばない。「エッ、知らないうちに決まっていた」ということが多くなった。管理職は都教委のイエスマンで現場の代表者としてはとても思えない。都教委の指示に問題があるのか常にビクビクして都教委の顔色をうかがう管理職は情けないです。

189  業績評価制度ともあいまって、この通達が出たことで格段に発言は少なくなっている。あわせて何を言っても全て管理職の意向通りにするしかないと考えて言わなくなってもいます。校務運営に取組む意欲も薄れてきており、危機的な状況であります。

190  生徒に対し、活発な言論を求め、自ら考える力を育成するのが学校の役割であろう。その生徒を育てる教師に挙手すら許されないというのは、何の“適正化”をしようとしているのか。この通知で返ってくる迷惑を受けたのは“良識ある”管理職なのではないか。通知などなくても、指導力のある管理職には教職員は心から協力を惜しまない。

191  本校は特殊な状況下にあります。2年前までは職員会議で意見を言うとそれへの批判が2倍にも3倍にもなって校長から返され、ときには会議終了後に「○○先生、××番までご連絡ください」という放送が入り呼び出しをくらうこともあった。(××番とは校長室の内線番号) 昨年からはソフトな校長になり、一時的に発言は増えた。しかし、生徒指導、教科指導など、どの分野でも校長は自分の考えは一歩も譲らないので「あの校長に何を話しても時間のムダ」という雰囲気が蔓延している。だから発言しにくいのではなく、発言しようという意欲が削がれているというのが現在の状況です。これでは何も改革できず、生徒のことを思うと悲しくなるばかりです。

192  何を言ってもムダ。これで東京の公立学校は終わってしまう。20〜30年後に公教育の問題点が明らかにされているころには取り返しのつかない状況になっているでしょう。

193  問1が@となったのはそれまでの“圧政”が原因。それから“開放”された結果であり、本件とは無関係。問2,3も同じ。問4、生徒不在の労使対決論議に不毛な時間を強いられなくなったメリットは評価するが校長の指導力不足補填目的が情けない。

194  発言しにくくなったと言うよりは言っても無駄なので発言しなくなった。言論の自由はあると思う。しかし発言の自由があっても何も変わらないのであれば言う気が起きない。この通知によって発言自体が減り、建設的意見でさえ少なくなっていると思う。

195  どこまでも続く終わりのないような学校の解体が教育委員会を名乗る行政機関によってなされて久しい。解体の方法は様々であるが、2003年の10.23通達(日の丸・君が代強制)と2006年のいわゆる挙手・採決禁止ほど、私たち教職員の精神や職業意識を直接的にズタズタにするものはなかった。学校の方針は、校長−副校長−主幹会議・企画調整会議で決まり、多くの良心的教員が排除された。学校組織はみんなで作るものから、行政権力に作られるものへ変容し、校長の意志、ではなくて行政の意志がストレートに貫徹するようになった。校長の権限はコンビニの店長にも及ばないといわれて久しい。そんな校長たちに対してヤラセのようなアンケートが行われたようだが、行政に対する校長の上面の忠誠度を測ることにはなるのかもしれない。このことを考えると、現職で「当たり前」のことを「当たり前」に言っただけの土肥校長の「当たり前」の勇気に敬服する。

196  校長のリーダーシップと自由な討論とは両立できるはず。

197  何を言ってもムダという感じで発言しなくなった。(発言しにくくなった気はしないが、発言する気がなくなった)

198  職会での挙手・採決禁止などというばかげたことがなぜ「学校経営の適正化」につながるのか全く理解できない。管理する側に都合がいいだけ、ですよね。教員がしめつけられているのに、生徒には「自由な意見を出して積極的な討論をしましょう」とか教えていてわけがわからない。

199  本校では職員会議での発言を止められることまではない。しかし「企画で言ってから」「分掌に下りているはず」という言葉は何度も言われた。分掌会議では時間に追われどこで意見を言ってよいのか、他の人はどう考えているのかさえわからず、何年たってもなじめません。

200  言論の自由はあるが、会議での発言に価値を感じにくくなり、結局校長の意見で決まるのだから結果的に「発言しても意味がない」と感じるようになった。若い頃は会議での多くの先輩教員の意見を聞いて勉強になったが、今は期待できない。挙手を求められないのだから、真剣に考える必要を感じなくなった。

201  生徒に発言する大切さを教えるべき教員が、発言意欲をそがれるような職場にいる、というのは矛盾しています。生徒にとって説得性のある教育にならないと思います。もっと教員を信用する方向での改革であってほしいと願います。

202  そもそも職員会議が“議論の場”でなくなっている。確かに効率は悪いかもしれないが、教員が一同に集まって議論できる雰囲気は教育現場では必要だと思う。(今は企画会議等で全て決まってしまうので、一般の教員は何を言っても無駄という無力感が強い)

203  生徒の進路にかかわる臨職など(以前のように)挙手してもらうことは、たとえ直接担任してないとしても、その生徒に責任(興味)を持ってもらう唯一の機会だったが、今それすらも形骸化している。教えてない、担任してない「生徒に教員が無関心」といういやな空気がある。

204  採決をしない為、議論も深まらずあきらめムードがある。採決をすると思えば一人一人が生徒のため、学校のためと真剣に悩みつつ、他の人の意見や考えを共有した上で決定してきたのにその大切な過程がなくなり仕事が気持よく出来なくなっている。単なる確認の場になりつつある。

205  学校現場での言論の自由のなさが生徒に伝わり、さらに、日本全体にそのような方向になっていっている。ように思える。

206  日の丸君が代問題が原点であると思う。以前、校長が職員会議を退席したことを思い出す。

207  議論、採決の場でなくなったため充分な討議がなされていない。単なる報告で終わっている。

208  発言内容をもとに業績評価を下げる管理職もいる。管理職に都合の悪いことに耳を貸さない。裸の王様でよいのかと憤りを感じる。

209  発言の内容に関係なく、発言が多いイコール異動という結果になっているように思える。

210  職員会議を機能させないという意図がある以上、そこで何かを討論することは難しい。又、急な案件があっても「企画調整会議を通してないから」と踏みとどまることさえある。学校において最も急務な生徒指導がうまく流れず指導がなまぬるくなったりする。学校は企画し運営するだけでなく、現場に対応することが最も重要なのではないのか?本当にイライラする。

211  「職員会議の発言は勤務評定の材料とした」と校長は説明していた。恫喝である。

212  校長が職員の質問に答えない。校長が職員、生徒、保護者との接触をさけている。

213  職員会議のたびに、空しさをおぼえます。

214  管理職の方の中にも困っている方がいると思う。現場のやり方を尊重してくれるようなシステムを希望する。

215  石原都知事も出演しているあの番組を見ました。勇気のある校長だと感動しました。やはり都教委の通知は行きすぎです。

216  教育現場の自由な議論や意見交換がなくなったと思います。

217  職員会議が討議の場でなくなったことで「発言をしても、どうせ原案が変わるわけではないのだから無意味だ」

218  「職員会議は時間のムダ」と考える教員が増えて、会議が形骸化し、無機質な報告、連絡だけの場になっている。

219  「建設的な意見」を求めるのであれば、都教委は通知を改めるべきである。

220  明らかに職員が意見を言ってもしかたがない――というムードになりました。会議が、ただの連絡の場になってしまった感じです。

221  制限を加える側のアンケート集約は意味がない。制限される側がどう感じるかを汲み取るのが「教育的」なものの見方であり、常識である。

222  自分と異なる意見を言えば「主幹おろす」「担任はずす」「テメー」「コノヤロー」と恫喝する校長のもとに「言論の自由」など存在しない。

223  発言もできないことが多く、質問という形で意見を述べるだけです。制度もそうですが、校長の資質も加わって教員の意見の表明は、大変な不快を耐えなければなりません。

224  通知の影響ももちろんだが都立高全体に高圧的で独善的な管理職が増えてきていると、他校の教員との情報交換で感じており、そのために職員会議で発言しにくくなったり発言しても無駄と思うようになってきている。

225  校長が教員の意見の多数がどこにあるのかを知る必要があると思う。多数が賛成している方向で校長が決断したのか、多数は不同意であるが校長が決断したのかは校長自身が知る必要がある。

226  雰囲気が暗くなってきた

227  雰囲気が悪くなった

228  通知が出された当時の勤務校では発言についてはあまり変りありませんでした。しかし挙手は全くなくなり(学校長も困ってましたが)同時に主幹や副校長が下位の会議を経ずに、ぽんと勝手なことを言い、周囲がふりまわされることが多くなりました。

229  議論することに熱意がなくなっているように感じられる。ある学校に在職していた時、主幹教諭の一人が「議論するより、まずやってみてください。」という発言があった。次第に言われたことをやればいいんだという空気が濃くなっているようだ。

230  通知に関係なく言いたいことは言わせてもらっているので、通知は私にとっては気にならない存在である。

231  三鷹高校(校長)の勇気ある発言を支持します。この発言は真実を語るものとして歴史的に記憶されるでありましょう。

232  しても意味がないような気にさせられている。言わなければいけないことは発言しなければと思うが、強い意志とエネルギーを求められる。

233  議論の結果としては、大半は了承されるものと思える。しかし考えても仕方がないという気持はどこかにある。

234  以前企画調整会議で審議の不具合がある事項なので、話し合っても是正されないまま職員会議に管理職の意のままで何も変わらずに出される。企画調整会議を実施することすら不要である。

235  まあ会社的といえば会社的で、全体から見れば普通なのかも知れないが、上は現場で何が起きているのかをきちんと見ていない上に、こちらがいくら策を考えて何かしようと準備しても、ただの一言でくつがえるので、何もしない方がマシ。疲れるし。

236  教室(つまり教育の場)で、指導下手、役に立たない者ばかりが管理職になる。イエスマンばかり。今後の東京の公立高校の展望は暗い。

237  何を言っても、校長の判断を左右しないなら何を言っても仕方ないでしょう。

238  挙手して採決ができず、不便である。

239  1113日の都教委の「学校経営の適正化について」の調査結果はあきれはてました。自分たちの子飼いの人からの回答を得て、「適正な学校経営がなされている」などと公表するのは一方向に偏った科学的でない結論の出し方であると思います。何としたことかと思っているところでしたので、今回の保護者&市民の会のアンケートには感謝いたします。このアンケートには職員会議等の現状、教員のおかれている現状が反映された結果が出るものと思います。

240  本校は職員会議自体存在しません。議論をする以前の問題です。校内研修の重要性が叫ばれ、職員連携会という名の報告会のようなものしかありません。そこで意見を言っても校長が「それでもこれでやってくれ。」と一言いえばおわってしまいます。それでは教員も意見を言う気がなくなります。

241  本校は開設2年目の学校で、開校当初より職員会議がありません。連携会の名称で企画運営会議(校長の決定が多い)での連絡が目的です。各分掌から来る案も報告会のようなものしかありません。そこで意見を言っても校長が職員会議でもまれない為、中途半端なものが多く組織としても主任だけ頑張り、あとはダラダラとマイナスです。

242  意見を言っても「決まってます」の一言で終わる為、職員の中には「言ってもしょうがない」と思っている人は多いと思う。また連絡がうまく伝わってなく、指導がうまくできない部分が多々ある。

243  ひとりよがりのはだかの王様をなくせ

244  職員会議がないので、(連絡会のみ)、来週の細かいことさえ、行事内容がわからないときがある。授業内容を決められず、大変困っている。

245  通知以前に、開校以来発言しても聞き入れられない職場です。

246  本校には職員会議すらもない(成績会議も)

247  一般の教員が管理職を評価する制度も作らないと一方的な意見や命令だけが降りてきて、独裁的になる恐れがある。現実、起こりつつある。

248  物事を決定する校長が責任を取ることがない。今まで通り職員会議で全員で決めるのがよい。

249  職場の雰囲気がとても悪くなった。自由にものが言えず、言っても結局変わらないというむなしさがある。トップダウンでのやり方では結局学校をダメにする。

250  教員のモチベーションが下がった。議題に対して自分の判断を下さないので、教員の問題処理能力が伸びず、結果に責任も持たない。

251  通知以降、職員の発言がさらに減った。また管理職は意見に対して有効な解答をしていない場合が多い。

252  意見を言うことが悪いことなのか?言えば評価を下げられるこわさもある。上から押しつけられたことを納得できなくても行なわれなければならないのか?これでいいのでしょうか?疑問です。

253  発言しにくいと答えたのは、主任たちの報告会(企画調整会議など)で決まったことのように職会に下りてくるので、まるで知らないのは自分だけかのように感じ、質問などがしづらくなりました。「合理的な方法」よりも「建設的な議論」をとるべきだと思います。

254  会議の時間は短縮され、管理職の考えで学校が動くようになったと思うが、反対の意見は生かされず、一部の思惑で動いているのでは、と疑心暗鬼になり、だれがスパイなのか?だれが敵なのかとさぐりあいがおこり、一致団結して教育をおこなおうという気持ちがなくなっている。自分は反体制派だから関係ないと無責任な教員が増えたのではないかと感じる。意見を言ってもまったく反対され、これをやれ、ではやる気がなくなり、何をやっても、「お前は校長の犬か」と先輩教員に言われれば若手は育たないと思う。

255  言っても「ムダ」という気分が広がっている。 いつでも校長が決める。

256  会議で何を言っても管理職には馬事東風。たまに会議や委員会で議論がきちんと行なわれ、方向性がみえてきても、管理職の一声で元に戻る。実際に生徒をみている教員の意見よりも、都教委しか見ていない管理職の意見で学校の方針が定まるのだから、学校が良くなるはずはないでしょう。

257  管理・権力に立ち向かう姿勢。私もそうありたい。決して心は負けません。でも口に出さないと、行動しないとね。私、西東京市長と闘っているのです。色つきゴミ袋問題で。(問4 無回答)

258  言っても無駄という無気力が広がった。・難しい問題などの結論を出すのが難しくなった。

259  ひどいものだ。

260  会議で意見を発言することが個人的に「校長に対して学校運営に非協力的」ととられてあきらかな不利益を被っている。(本年度の分掌人事:担任の配置) 主任教諭選定等の際に校長による勤務評価の結果の影響が出る。ますます発言しにくい状況になっていき、勤務意欲が著しく減退する。土肥先生の勇気ある行動に心から敬意を表します。

261  職員会議は企画調整の結果、校長の決定が伝えられる場であり、意見を言っても変更されない。意見を言うだけむだである。一部の教員(主幹)の意見のみで、学校が運営され様々が問題が起きているが、意見を言う場所もなく適正な学校運営とはいえない。

262  「学校経営の適正化」の通知以降、職員会議は討議の場からただの伝達の場になってしまったと思います。

263  通知以前から業績評価(給与に反映)や異動に関わるので、自由な意見など全く言えない。愚にもつかぬ数値目標をあげさせられている。都民も大学合格者数等短絡的なことばかりを学校に求めていると思う。(私立国立伝統校のサルマネをしてもそれにはかなわないと思う。)校長は全く無能で生徒の実態を知らない。自身の都教委の評価のみを気にしている。

264  (職員会議での発言数の変化は)2006年に改課程されたのでそれ以前は分からない。

265  民主主義を理解させる学校で教職員の言論の自由・思想信条の自由が無くなっていて、何で生徒に教えられるのかと思う。生徒・学校・教育のためという教委の言葉は嘘であることがはっきりしている。

266  校長のひと声で決定されるようになり「何を言ってもムダ」と諦めて発言をしなくなる教員が(私を含めて)増えたように思う。黙した羊の集団になってしまうのが、生徒にも影響し、ひいては国の方向性にまで及ぶのではないかと危惧する。

267  校長の考えと異なる意見を言いにくくなっていると思う。気に入らない発言をしたということ等で「戦力外」通告を受けた人がいた。「建設的な意見」都は校長が気に入るような発言を指すと思われるが、そのような意見は言い易い。あるいは校長側に日和る発言をする人が増える恐れがある。幸い、本校では校長に対して反発が大きいのでないが。

268  何を言っても主幹からの伝達が万能になり、職員会議が連絡会となっている。教員による、あきらめ感も相当大きくなってきて、閉塞的な状況である。

269  職員会議に出席することが苦痛になり、できれば欠席したいと思います。

270  管理職の姿勢が頑固になった。

271  管理職がこちらの意見・発言を聞かなくなっている。

272  発言によって業績評価が下がるのでは会議の意味がない。自由な意見が減ってバカな管理職により学校が崩壊するのでは。

273  発言しても無駄かなという感じはある。

274  自由な意見を通して、一致した意見がでることがなくなった。

275  校長・副校長の考えに異議(質問)を唱えることが難しくなった。またより良い意見も無駄に感じて発言しなくなった。

276  そもそも職会での皆の意見の多くはどうであれ、校長の決定に従うというのは、民主主義ではない。

277  石原と都教委の全面更迭を求める。教育の民主化の為にも最重要。

278  校長が最後に決めるのだから、何を言っても無駄だという無力感が漂っています。一部の教員が元気なだけ。

279  上意下達だけの職員会議には出席しても無駄と、職員会議にほとんど出なかった教員が業績評価“D”をつけられた。それほど“今”の職員会議は大切なものなのか?

280  土肥校長のような管理職が増えて欲しいとは思うが、本来土肥校長のことを特別な存在を思うような状況が異常なのだと思う。教育は相手が人間の仕事で、教師と生徒、教師同士、教師と管理職が常に心が通いお互いの意見を尊重していかないと、良い教育はできるはずがない。最近10年で教育は形ばかりをととのえて心のないものとなっています。役職が上の人が、下の人の意見を聞かないという態度は許せないし、そういうことは能力のない人がすること。ここは民主主義の国なのかと毎日毎日思っています。

281  言っても仕方がないという雰囲気が底流にあるようになり、学校全体に活力のなくなる遠因となった。管理職は自分が決定すると言っておきながら自分の手に負えないものには職員の意見を求め、ご都合主義である。確実にこの学校は自分たちと生徒で創るという空気がなくなった。

282  私は発言よりもその発言を無視して物事を決める校長が許せません。それなら発言する時間が無駄だと感じる人は多いはず。挙手(採決)ができなくなったことがとても大きな問題です。

283  職員会議では「多数決も拍手もなし」になって、非常に非民主的になったと感じ意見も言えない。当然言っても(理解されず聞かれず)空しいという気持ちがあって会議をいっそやめてほしい、時間のムダ!という気がします。もどせるなら声を上げたい。

284  学校をよりよくしよう、という気持ちをどんどんそがれている。いろいろな意見があってはいけないらしい。校長の「強権発動」もあった。この仕事についていること、子どもたちに接してゆくこと、すべてがむなしくなる。

285  挙手採決の禁止によって、会議で発言しようという気がなくなりました。会議はいわゆる“声の大きい人”“えらい人(主幹)”らの発言がもっぱらで、全員の意見が正しく反映されているとはいいがたい状況です。土肥校長の判断は称賛に値すると思いますが、他校の管理職にも、もっとこのような考えを持ってほしいと思います。

286  単なる上からの伝達機会と化し、意見の交換もままならない場になったと思う。

287  民主主義の国家では教育は民主主義であるべきだ。

288  民主主義憲法にのっとった教育を行うべき学校において、生徒に最も近い現場の教職員の言動が民主主義の観点から制限されるのは望ましくない。

289  都教委が変わらなければ、都立高は良くならない。

290  閉塞感を助長したように思う

291  学校管理職は独断専行・トップダウンをリーダーシップだと誤解している。通知によりますます学校管理職には他者の意見を聞き思考することやまともな議論をすることができない人間が増えた。

292  東京都立学校が真の意味で「適正化」されるにはぜひとも保護者や都民の方々の力が必要です。ぜひ後押しをお願いします。

293  通知以前(特に2〜3年前から)から、職員会議での発言は少なくなったように思います。会議で何を言ってもしょうがない、管理職の人柄によっては後で何をされるかわからないという雰囲気もあります。

294  常識と良識と公正さを回復しましょう。

295  昔と言っても数年前だが、本当に皆で意見を出し合い、学校をどうするか、生徒をどうするかを、時間をかけて話し合ったと思います。皆で何時間もかけて話し合い、結論を出しても校長の鶴の一声で、白が黒になってしまう。本当に職員会議から活気がなくなりました。

296  もともと会議というよりもその意見・我を通す、声の大きい人の方に傾くような感じではあったと思う。ただ建設的な意見が出にくくなったかもしれない。

297  職員の自由な意見を封殺して、生徒の言論の自由は育たない。

298  校長が勝手にやっているという感じだ、学校が私物化される。

299  司会が、もめている案件があってもどんどんスルーして終わらせる。そのスルーする加減といったらすさまじい。話し合いじゃない。発言しても誰も何も言ってくれず、自分の意見が承認されているのかどうか自信がなくなったり、かえって迷惑だったりするのかと嫌になることがある。職員会議以外の、ごく一部(ex.主幹会議)では“建設的意見”が出てるかもしれないけど、それは職員会議とはちがう。“破壊的意見”であることも多い。

300  発言してもムダになりつつある→発言しなくなる→職会必要なし、伝達のみなら不必要。しかし形はあたかも民主的なように会を持っている。

301  意見を言っても最終的には校長が全体の意向を無視して決定するのかと思うとバカバカしくなることもあります。意見を言うほどでないにしろ挙手による意思表示くらいさせて欲しい。

302  意見を言ってもムダというムード

303  問2に関して、私自身、既にそれ以前から都の状況に失望し、以前(2004年以前)より発言回数が減ってしまいました。都立校生だけ(都立の教員も)強いられている授業「奉仕」の全廃に向けてご協力頂ければ幸いです。

304  職員会議での挙手・採決禁止はやり過ぎであると思う。日の丸・君が代を強制的にやらせるのと同じである。こういった突出したことは多数の意見で無くすべきであり、そのために協力すべきと思いました。

305  多数決が全てよいとは思わないが、「発言しても結局校長がお上の意向の方向で決めちゃうんでは」という発想・雰囲気になり、心ある人ほどバカらしくなってしまう原因になっている。

306  許せない暴挙であると思います。

307  会議で教員が意見を言えない。そのうち、HRで生徒が意見を言えなくなる日がくるんでは…?

308  発言してはいけないとは感じないが、意見を言っても聞いてもらえない、変わらないという、あきらめ感を持ってしまい、志気が上がらない。

309  言っても無駄、とか(最初から)校長の胸中にすでに結論があるのだと思うと、(それにのまれてはいけないと思いながらも)ヒタヒタと虚しさを感じているのは事実です。幸い、まだ、地獄へ送ってやりたいほど極端な決定の場には出会っていませんが。(近いことはありましたけれど。)

310  どんな有能な人物でも、学校の全てを一人で把握できるはずはありません。多くの人の意見をもとに学校を運営していくことが大切と考えます。2006.4月の通知はこれに反するものです。都教委はこの通知を撤回すべきです。

311  こんな方法論しかないのか

312  職員会議での意見がかなり減り、むしろ、別の形で教職員の意見を管理職が求めることもあったり、企画調整会もどきでの意見を全てと思われたり、いろいろ問題が多い

313  職員会議の内容が、形式的になってしまった。

314  必要のない通知である。

315  会議はほとんど連絡のみとなり、意味がなくなり 共同して物事にあたる雰囲気もなくなった。

316  アメリカの教育視察団が評価した、一般教員の学校経営への参画意識など、日本の公教育の強みだった部分を破壊する行為であると思います。このところの都の教育改革は、現場の教員を締めつけるだけの結果になっている。

317  様々な意見を聞く機会が減少し、言っても仕方が無いという雰囲気が満ちている。連絡のみで終始し、建設的な意見が出なくなった。教員のやる気がうせた。

318  いろいろな意見が出、議論しても結局管理職の「鶴の一声」で決定してしまう(ないし、引っくり返されてしまう)ので教員の中で「発言してもしかたない」という無力感が漂う。又、会議に諮ることなく管理職から出される事案がとても多くなったように感じている。

319  これも行った、それも行ったとお題目だけで、有意義な事は少ない。誰かの出世のためのお題目で、内容がない。こんな形式だらけの教育でいいのでしょうか?日本人は形ばかり整える国民になってしまう。精神的なバブル崩壊も近いのではと危惧してしまいます。

320  これからはボトムアップの時代と、主導主事から聞いたことがあるが、管理職の意識が変わらなければ、トップダウンのままである。

321  採決によって意思表示をする、ということがなくなり、各自の考えを また、全体的な方向は示せなくなった。発言しても変わらないなら言っても無意味とは思う。結果としてはモチベーションは下がるのが当然。

322  職員の発言の内容がどの職場においても、暗に異動や勤務評定に影響していると思われてなりません。

323  学校がリベラルでなければ、教育の発展はない。

324  職員会議が長引かない、ということがどういうことなのか。以前は遅くまで話し合った会議の良かった点がすっかり今は無い、と思う。

325  都教委の背後に政党の思惑があるのかもしれず、(民主党議員も問題あり)、やはり多様なチャンネルを通じて常軌を逸した通知を撤回させるべくお力添えお願いします。

326  上意下達の連絡事項のみの会議になってしまい、教職員間には何を言っても意味がないというような諦めムードがただよい、会議が活性化しなくなった。 通達以来、学校全体に閉塞感がただよい息苦しい。教育問題について以前のように熱い議論を戦わすようなことは全くなくなり、学校教育の危機ともいうべき状況である。

327  職員会議は出来レースです。意見の表明はあっても結論が決まっているのですから、あえて、リスクを背おって意見を出そうとは思わなくなりました。逆に、他の教員も考えを出さないのですから、他の視点でものごとを見たり、捉えたりする機会は激減しました。新しい考えや捉え方については、職員会議ではもちろんのこと、普段の会議でもふれることは、なくなりました。職員会議は、決まっていることの伝達機関であり、会議ではなく連絡にすぎません。一つ一つの決定事項に深くかかわることはなくなりました。責任のない部署にいる私にとっては、ほとんど物事を考えなくなりました。以上。

328  先般の校長への「調査」において例えば「発言をしなくなった」との問いに対して回答した管理職員はどのような基準をもって「いいえ」(or「はい」)と判断したか、の点が全く不明瞭でナンセンスです。統計的な検討に耐えられる調査でしょうか? 問2に関連して。発言の「不自由」は感じないものの、「無力感」は日増しにつのり、会議出席の意欲はほとんどなくなりました。その点にこそ問題があるように思います。学校運営への主体的参加のモチベーションは消失しつつあるように強く感じます。

329  自由な討議の場が失われた。どうしても採決をしないので話し合いをやっても無駄になるように感じるし、何が結論であるかが明確でないのでその後の行動がとりにくい。教職員の方に民主的な話し合いがおこなわれていなければ、生徒達にも話し合いをするよう求めていけない。

330  何を言っても仕方がないという雰囲気になった。それにより、発言をしない方が増えた。せもても抵抗で、発言機会を増やすようにしている。

331  校長に聞けば、当然、上記のような答えになるでしょう。違えば、責任を問われるでしょうから。

2は「発言し難くなったとは思わない」と答えた。しかしバカバカしくなって発言しなくなった。

332  少なくとも本校においては必要のなかった通知であると思われます。

333  挙手による意思表示を禁ずるという暴挙がなぜ、公にまかり通るのか理解できません。

334  現在、職員会議の形骸化が甚だしいと思います。会議に参加することさえもばからしく、欠席者も増えているのではないでしょうか!

335  校長、副校長に調査して、何の意味があるのか。都教委の魂胆丸見えの調査でさえ、100%でない。「いいえ」以外が12%もあることに注目したい。学校と株式会社は、目的そのものが違うという、基本的なところを考え直したい。

336  言論の自由がなくなったというよりも、「どうせ言ってもムダだよな」という気持ちになりました。職員会議で「それは企画調整会議を通してますか」とい言われると「すみません」と反射的に言ってしまいますが・・

337  職員会議で発言したところ(前)校長が「職員会議は意見や議論の場ではない」と一言。それ以来教員はほとんど意見を言わなくなりました。約1時間の会議で(前)校長の演説が約20分。会議が長引かないのは良いかも知れないが、シラーとした時間です。プリント配布のみで事足りるのが今の職員会議です。

338  業績評価(無能な校長による恣意的評価)によってがんじがらめにされており、職場全体が活気がなくなっております。一部の上昇志向のある方々によって、意思決定がなされていき職員会議は死に絶え、「職員連絡会」に変質してしまっています。このままでは、都立高校は都教委の単なる出先機関になってしまうでしょう。

339  現校長は教員のことを考え民主的だが、前校長はひどかった。「職員会議を認める気はない」と公言し、一般教員の意見を完全に無視した。管理職によるわけだが、少なくとも反動的な者が上司になった場合、あまりにも有害なものであることは間違いない。

340  書類ばかりがやたらと増え、意見も言えず、その上教員の責任が問われることが多くなり、公立学校の良い面(比較的自由な雰囲気)が失われてきたと思います。

341  学校という”学問の場”で意見あるいは異見を言うことが出来なくなるという異常事態。日本の公教育は”学問の墓場”となってしまうだろう。

342  現在、様々な会社は特に現場の声を大切にするのに必死になってるのに、行政の世界のように上の言うことは「絶対」となったら・・これは民主主義ではない!現場の人間のやる気を上げるような努力をして欲しい。以前の校長は「あなたの意見は聴きません!」という空気を出しまくっていた。

343  校長、副校長、経営企画室の連絡、報告で会議の大半を費やしてしまっている。残念なことですが、自由に発言する雰囲気が失われてきていると感じています。

344  あまり重要とは思えない案件についての意思決定スピードが低下したために、効率が低下しているのは否めないめない事実だと思います。

345  「意見を言っても仕方がない」という雰囲気がある。その中でも意見を述べる方もいるが、自分自身は空しい気がする。現状ならば、時間をとって会議をする必要はなく、伝達事項は書面で回覧するだけでよいと、忙しい時など思ったりする。

346  職員会議が形骸化し、意味を持たなくなっており、職員組織が壊疽しはじめている。

347  教育は教員同士、さらに教員と生徒との間に精神的な自由が保障されなければ、正常な営みは成立しない。「学校経営の適正化」は本来の教育行政に反していると思う。

348  職員会議などさっさと終わろうという雰囲気の学校がふえている。

349  主幹会議の内容がまったく伝わってこない。職員会議と主幹会議で発言を使い分けているとしか思えない主幹もいる。民主主義の危険を感じます。

350  無気力な雰囲気が職場に入り込んできているような雰囲気がしています。

351  武蔵野公会堂の集会、参加してきました。土肥校長の言うことに都教委は正々堂々と反論するならすればいい。のにしない。できない。ヒラ教員として、土肥校長を応援しています。一石を投じていただきありがとうございます。

352  一部の意見が全体の意見にすり替えられているような気がします。落ち着いて話し合いができる会議、必要ではないかと思います。

353  土肥先生、がんばってください!

354  すべてが企画調整会議で決まっている。意見が出しづらい。主体的にやろうというヤル気がなくなる。

355  前任校では校長に『学年主任を通して校長に話すように』言われ、私が直接校長に話しをすることをとがめられました。人格者が校長、副校長になるような選考方法を都教委に考えていただきたいです。

356  管理職(A官、B官も)のアンケートは記名式で、その結果は全てエクセルで入力され、反抗的だったり、「この研修は役に立たなかった」と書いた人は要チェック人物とされ申し送りされます。本音は書けないですよね〜

357  職員同士で話し合いや会議をしても、それとは違う方針で物事が決められてしまうことが多々あるように思います。現状を踏まえ、いちばん良い方法を考えていくのに、教員の意向が反映されないのには危機感を覚えます。

358  意見を言うこと自体はできますが、最後は校長が決めるわけなので、まるで言う意味を感じなくなった。実際に校長と異なる意見は取り上げてもらえないので、自分としては、かなり発言しなくなっている。生徒・学校のことを第一にする、能力のある管理職であることを願うしかない。

359  職員会議は報告の場になっているので、そこで意見が言える訳がないと思うし、企画調整で話し合いができているか知りませんが、伝わってこない。不透明で、なんとも居心地悪い。勝手にやってくださいと思ってしまう。早く退職をしたいが、生活のためがまんする。

360  生徒と一番近い現場の意見が反映されない!

361  教育は誰か一人の考えを押しつけるものではない。多様な意見を集約してこそ組織が活性化し、自由な教育が守られるものである。

362  発言することが無意味に感じられてしまう。管理職が好きなように考えて学校運営をし、責任を取ればいいだけのこと。

363  1113日の報告の件を迂闊にも知りませんでした。2006年以降、ヤル気がどんどん失せています。

364  言わなければいけないこと、聞きたいことなども昔は、いろいろな人が手を挙げてたずねてくれていたが、その数も減ったので、以前発言しなかったものも少しは手を挙げてたずねなければと思うようになりました。

365  自由に意見を言っても時間のむだだと思い、仕事のやる気がうすれていく。

366  教員の意見が校長の決定によって否定されてしまい、積極的に取り組む気持ちを失わせてしまう現状がある。職員会議に出たくない。

367  意見を言っても反映されないだろう、というあきらめムードが先にたってしまう。何か言うと、自分のせいで長引かせてる?と思ったりする。

368  時間をかけて話しあったのに、最後に校長の一存で決定するのは、まったくやる気をなくします。ただ単に”話しただけ”で何も意味がないのでは、時間のムダに思えます。

369  発言する気がなくなった。

370  挙手・採決が禁止になったことで、積極的に発言する方の意見ばかり目立ち、発言されない方の考え方・意見がわかりづらくなった。教員間の意志の疎通に大きな影響が出ている。また、人事考課制度の評価を気にして校長に批判的な意見が言いづらくなっている。

371  建設的な意見の交換がなされても、まったく無意味である(校長の一声で決まってしまう)ので、皆、意見を言わなくなってしまった。

372  自由に発言しにくくなったとは思わないが、馬鹿馬鹿しくて意見を言う気にならなくなったとは言える。

373  教育の現場において上意下達は有害であってなんのメリットもない。

374  学校全体を考える視点がなくなり、自分のテリトリーだけをやればよいと考えるようになった。

375  生徒と直接関わっているヒラ教員の意見が反映される場がなくなった。どうせ言ってもムダだからと、職員会議を聞く気がなくなった。上の決めたことをプリント(異常に増えた)で配るだけなら、紙と時間の無駄。仕事をやる気も失せる。

376  管理職が職員会議の司会をしていて、どんどん早く進めようとしていて発言の「間」を取ってくれない。職員の間でも職員会議で発言しにくい雰囲気が広がっている。

377  物言わぬ=言えぬ 職員が増えた。あの通知は有害以外の何ものでもない。土肥校長、共にがんばりましょう。

378  民主主義を教えたい学校で、非民主主義的学校経営がおこなわれているのはおかしい。多くの職員の意見が反映されず、管理職の意向のみが素通りで出ていき、現場は困っている。

379  新設校で初年度は職員数が少なく、発言しにくい雰囲気であった。3年目となり、少しずつ発言をする人は増えてきたが、会議の時間設定が短く、報告のみで意見を述べたり、議論をする時間がとられていない。校内的には、新しく決定していく事案が多いにもかかわらず、一部の人の意見で決まっていく事に不安を感じる。

380  通達だけではなく、全般的に管理職の「権力」(悪い意味で)が強まってきた結果、報復人事などがこわくて物を言わなくなった教員が確実に増えていると思います。特に最近は管理職の資質も低下してきているので、「何をされるか分からない」と感じて、じっと黙っている教員も少なからずいるのではないでしょうか。「社長が支店長に『不満はあるか』と聞くようなアンケートをやっているのですから、行政の方々の資質の低下もひどいものですが。

381  職員会議がそれまで持っていた、学校としての課題についての共通認識を形成したり、その課題の克服にむけての全教職員の叡智を結集する場として機能を失いつつある。それは、今回の挙手・採決禁止問題も含めて職員会議を形骸化する都教委の意図的な政策によるところが大きい。

382  昨年、職員会議で発言した翌日に、校長に呼び出され「二度と職員会議で発言しないように」と注意されました。どうしても発言したいことがある場合は「事前に企画調整会議に出ている主任にお願いして、代弁してもらえるように努力しなさい」とのことでした。私はとても悲しい気持ちになりました。その後、私は全く発言していません。

383  本当に私利私益を捨てて発言しても、校長に反抗的発言ととられ異動対象にされたり、いわれのない屈辱をうけたりする。職員会議で発言するだけで、異動1年目の人はみんな人事構想外といわれた。

384  現在、東京都教委の行っていることは、言論弾圧そのものです。今の社会では異常なことです。その異常さを広くマスコミ・世論に訴えて、変えていかなければいけないと思います。どうぞよろしくお願いします。

385  前任校でも通知以降、リーダーシップと独断専行をはきちがえた校長が着任し、職員の意向をまったく無視した学校運営を行っていました。本校でも、前任の校長のときとはまったく職員会議で採決して決定することができず、校長の独断で重要なことは決められていたところです。

386  現校長は教育課程変更・特進クラス設置を早急に進めようとするため、それに反対・熟考すべき等の意見した教員に対して、必異動でもなく担任途中である教員に対して「異動させるぞ」と脅かしをかけ、暗に発言を封じこめようとしており、都教委の報告は偽善・隠ぺい以外の何ものでもない。

387  職員会議で校長や副校長に対して意見を言った教員が、「来年度の人事構想外」と面接で校長に言われ、異動させると脅された件が本校では何件もあったという事実を知った。

388  何もものをいえない雰囲気ができた。異動など絡めて、極めて不当な態度だと思う。

389  教育現場での上意下達、学校経営者が部下に命令して従わせるようなやり方は、教育を大いにゆがめている。能率生産性向上が教育ではない。利益をあげるために生産性を向上させるのが教育か?明らかにまちがっている。

390  私自身のことについて言えば発言回数、内容等は変わっていないが、話をまったく聞かないまたは聞いても自分の意見を絶対変えないような管理職の場合、どーせ何を言っても無駄という雰囲気になっている。

391  学校長の学校経営方針に反対意見を言ったら、来年度、人事構想外と言われた。言論弾圧以外なにものでもない!

392  2006年の「学校経営の適正化」についての通知以降、管理職(特に校長)の独断で学校経営がなされていると感じる。日々、生徒たちに接している教員からの建設的意見であっても、校長と意見が反する場合には“反対意見”とされてしまう。このままでは、生徒達から不信感を抱かれ、また、生徒達のためではなく、管理職のための学校になってしまうと思う。生徒達にきちんと目をむけられる、教員の声に耳をかたむけられる、温かくて賢い学校長を切望する。

393  職員会議の発言で校長から感情的に反対されたので人事構想外だといわれたりする人が出たりしている。明らかに言論弾圧になっている。

394  どんなに意見を言っても、結局結果は決定済という感じで、むなしくなることがある。

395  学校の中のことは管理職も含め、しっかりと話し合う必要があります。

396  私自身は発言しているが、いくら発言しても、それが生かされている実感がないため言わない人は出てきている。「生徒のための意見が通らなくなる」のれんに腕押し・豆腐にクギ。やる気がなくなる。

397  学校運営に職員会議の審議を反映する、あるいは判断する場合に、挙手もなければあいまいではっきりしない。自分が学校運営に関わっている気が薄れる。生徒に民主主義を教える感覚が育たない。

398  発言しにくいというよりも、「あきらめムード」が漂っている気がする。

399  上意下達になってきたと思う。

400  「どうせ最後は校長が決める」と思うと意見を言う気力もなくなる。

 
「土肥校長とともに学校に言論の自由をもとめる」保護者&市民の会  http://blog.goo.ne.jp/ganbaredohi/